「ハラ生き道」

「からだの軸」が整えば、「じぶんの本質」につながれる。

自分らしく生きる勇気を持たない人が何を語っても響かないよね。

こんにちは、おぜっきーです。


今日は「他人にアドバイスしても話を聞いてもらえない人」に向けて記事を書いてみますね。



周りを見ていて、


「惜しい!」とか

「もうちょっと変わればよくなるのに」とか

「ここが問題だなぁ」とか



思うことはありませんか?



そんなときって、ついアドバイスしたくなったりします。


「ここをこうしたら、もっとよくなるよ」

「それは、〇〇がズレていると思う」

「残念だけど、それは違うんだなぁ」


という感じで、なぜか上から目線でアドバイスしたくなったりするんです。



逆に、そんなアドバイスをされちゃうことがあるかもしれません。


上から目線なオッサン、勘違い母性オバサン、成功者気取り・・・。


そんな人たちから無責任かつ、誰でも言える抽象的アドバイスをされ辟易した経験が、誰しも一度はあるものです。



そんなとき、ぼくらはそのアドバイスを決して聞き入れません。

いちおう「うんうん」とか「ほうほう」とかいう顔をしながら、内心では


「なんやコイツ、うっとうしい」

「このアドバイスを聞いたら、お前みたくなるんだろ?それだけはヤダ」

「早く話終わらないかなー」



なんてことを考えていたりします。



そうかと思えば、「この人の話は一言一句、聞き逃したくない!」と感じ、必死でメモを取りながら話を聞く場合もあります。



けれども、あとからそのメモを読み返してみたり、その方の著書を読んでみたりすると、実は「大したことは言っていない」というケースがあります。



でも、めっちゃ心に響く。

モチベーションが上がる。

そこから変わっていく。





じゃぁ、この違いはなんなのかって言えば、それは


「誰が言うか」


ってことなんですね。



実際に自分で体験して、腑に落として、ハラ落ちしている人の言葉にはパワーがあります。


けれども、自分が経験していないことを言葉にしても、それはパワーがないのです。



幸せじゃない人に、幸せを語られてもウザいだけです。


結婚したことない人に、結婚のことを聞かされても、むなしいだけです。


自分で生きていく分を稼いだこともないのに、お金の話をされても、うっとうしい。




ぼくは、10年位前、そんな感じでした。


ふつうにサラリーマンをして、自分の本心をごまかして、心の奥の不満も見ないふりをして生きていました。


けれども、たくさん本を読んでいたので、偉そうに色々とブログに書いていたのです。



いま思えば、非常に恥ずかしいのですが、なんとかして


「自分はふつうの人とは違う」

「自分は、みんなと違って”分かってる”んだ」

「自分はスゴイんだ」



ということを証明したかったのですね。



もちろん、そんな気持ちで書いたブログが流行るわけもありません。

アクセスも毎日100くらいしかなくて、完全にオ●ナニーブログでした。



そう、結局のところ、自分らしく生きる勇気のない人が何を語っても響かないのです。


人の心に響かなければ、人は集まりません。


そうしたらサービスも売れないし、もちろんお金も循環しません。



まさに「先ず隗よりはじめよ」で、自分のことを整えていく必要があるのです。


もちろん完璧じゃなくてもいい。



けれども最低限、サービスを提供してお金をいただけるくらいまでは、自分自身を愛し、自分の心の奥底の思いで生きるということを実現させている必要があるのです。



「わたしは、このことを語る資格があるのだろうか?」



自分を見つめながら、そんなことを考えていくと、他人にアドバイスしたい気持ちが減ってきます。


「あの人は〇〇」

「この人は××」


他人を評価して批判しているヒマがあるのなら自分を見つめて変革していく。




けっきょくは、そのほうがラクなんですね。



「自分を変えなきゃいけない」んじゃなくて、「そのほうがラクで得だから、自分を変えていく」


そして、そういったあり方を毎日の行動で見せている人がアドバイスをするからこそ、周りの人にも響くのです。



アドバイスをしても聞きいれてもらえないとき、それは自分の心のすき間を見つめるチャンスなんだと捉えていく。



そんな「あり方」こそが、他人に響くのではないかと思います。

 

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