清水の舞台から大ジャンプすると・・・死ぬ。
すごいことに、気がついたよ。
そうだよ。
清水の舞台から飛び降りたら、死ぬだけだなんだよ。
飛び込みの選手だって、何度も何度も練習するでしょう?
それでちゃんと技術を会得すれば、むやみやたらに勇気出さなくていいでしょう?
それをさ、なんの技術もなしに、ただ飛び込んだら大怪我することもあるよね?
だからさ、そこは「勇気」とか「覚悟」よりも「技術」が必要だったりするんだ。
もちろんね、今までどおり「ハラ」は大切だと思う。
むしろ、それが根本にある。
けれども、
「ハラが据わらない」
「覚悟が決まらない」
「一歩踏み出せない」
のは勇気がないからじゃないんだ。
「勇気を振り絞る技術」を知らないだけだったんだ。
よくよく考えたら、ハラ生き道では、そういうメソッドをお伝えしているのね。
「ハラを据わらせる」
「自然と勇気が湧いてくる」
「からだもこころも勝手に強くなる」
そういう「具体的な技術」をお伝えしています。
それは「勇気を振り絞る」というのとは、ちょっと違うんだよね。
そんなに頑張らなくてもいい。
そんなことよりも、「具体的な技術」をマスターすればいい。
それは「怖さに立ち向かう武器」を手にすることだ。
だから、はなっから「怖さに立ち向かう」気が無い人には意味がない。
けれども、なんの武器も持たずに「怖さ」に立ち向かうのは、「無謀」なだけで勇気じゃない。
そういうのを「蛮勇」って言うんだ。
蛮勇をもって清水の舞台から飛び降りてみても、ふつうに死ぬだけだよね?
それは勇気というより、ただのヤケっぱちでしょう?
ほんとうの勇気ってのはさ、怖いなら怖いで、それを認めて、清水の舞台にハシゴをかけて、ゆっくり降りていくことだと思うんだよ。
そしたら、スピードは遅いかも知れないけれども目的は達成される。
カッコつけのパフォーマンスで死ぬなんて、もってのほかだ。
死ぬ勇気よりも、生きる勇気のほうが尊いと、ぼくは思う。
だから今「勇気が出ない」という人も、じぶんを恥じることはない。
それは「勇気を出す技術」を知らなければ当然のことなんだ。
だから逆に「勇気を出す技術」さえ身につければ、自然と勇気というのは出てくるし、チャレンジしないのは物足りなく感じてくる。
そのチャレンジだって、けっして「無理」することはない。
「無理」とは「道理」が無いこと。
つまり自然の摂理にしたがってないってことだ。
それはハラ生きとは呼べない。
だから今、一歩踏み出したいのに怖くてできない人は無理しないで、
「勇気を出す技術」を、まずは知ることだ。
そして「勇気を出す技術」を具体的に学び、マスターする。
それから、その技術を実際に使って、実践してみることだ。
そしたらきっと、いま目の前にある壁を知らないうちに乗り越えているはずだ。
「勇気を出す技術」はこちらのセミナーでお伝えします。