「あなただけ見つめてる」から「じぶんだけ見つめてる」にシフトする。
「あなただけ見つめてる」と、苦しいんだよ。
楽に生きる、ってのは「じぶんだけ見つめてる」ってことなんだ。
「あなただけ見つめ」てたら、「あなた」に振り回されちゃうの。
別に振り回されてもいいんだけどね。
振り回されながらも、「じぶんだけ見つめてる」ことができれば、「振り回される」ことが喜びに変わるんだよ。
それが、「じぶんだけ見つめてる」が出来ないと、ぜんぶ「あなた」のせいなっちゃうから、「あなた」を責めたくなるでしょ?
で、その責めたい気持ちで、じぶんの心もカラダも殺してしまう。
人を呪わば穴二つだ。
けっきょくのところ、ぼくらが整えることができるのは、「じぶん」だけで。
んで、「整える」ためには「見つめてる」必要があって。
ほいで「見つめる」ってのは、ほんとうに最終手段みたいなもんで。
「見ーつーめーてーるー」と「整っちゃう」んだよね。
昔CMで「見ーてーるーだーけー」っていうのがあったけれども、実はそれが「究極の奥義」なんだ。
「見ーてーるーだーけー」は、「何もしない」ということ。
「何もしない」とは、「ボーっとする」ことをすることではなく、「すべてを体験する」ということだ。
で、この「すべてを体験してやるぞ!」というハラづもりが、「究極のリラックス」を生むわけです。
それは「こうなったら困る」がなくなるということでもある。
理想も希望もなくなる。
「いま、こうある」
だけがある。
それが「じぶんだけ見つめてる」ってことだ。
そこには「問題」がないの。
「問題」があるように見えても、「だから何?」ってなっちゃう。
「こうなったらイヤ」ってのが少なくなるのは、すごく強くなるんだよ。
イヤイヤ言ってると、「からだの軸」が崩れちゃうんだよ。
「イヤ」ってのはさ、
「こうじゃなきゃダメ」ってことで、その思い込みがじぶんを制限しちゃってるんだよね。
それが「じぶんだけ見つめてる」をしていると、その思い込みや制限が見えてくるんだなー。
それで「見えてくる」、と「勝手に消えていく」んだよ。
そういうことを実践していくのがハラ生き道です。