パートナーシップの本質は、「ありえねぇ」「ゆるせねぇ」「信じられねぇ」に出会うこと。
妻と一緒に住むようになって、足かけ10年。
いまだに、「分からない」ことだらけだ。
お前は謎の宇宙人なのか?といつもビビってしまう。
「休んでたら?」が
「どっか言っちまえ」に聞こえたり、
「掃除しておこうか?」が
「お前、家事しっかりやれよ」に聞こえたり、
「愛してるよ」が
「はー、めんどくせ」に聞こえたり、
誤解、誤解、誤解の嵐。
けれども、おれは思うんだ。
この
「ありえナーイ」
「ゆるせナーイ」
「信じられナーイ」
こそが、素敵なパートナ―シップに最も必要なんじゃないかと。
「価値観が違うから別れる」のもアリだけど、なんかもったいないと思うの。
ホントにね、ウチもお互いに
「はぁ?おまえバカか?」
と思うことだらけなんだけど、やっぱりさ、そう感じる部分にこそ
「要らない思い込み」
が隠れているんだよね。
「要らない思い込み」の深いやつはさ、深い関係のなかでしか見つからないんだよね。
だから、「要らない思い込み」を見つけてくれた相手に感謝なんだよね。
だけど、そういうときってだいたい「くっそムカつく」っていうカタチで出てくるからケンカしちゃったりするんだけどね。
でもさ、
「ありえない」「ゆるせない」「信じられない」
が出てきたってことは「大きく変わる」チャンスなんだ。
そのぶん「大変」だけどね。
ただそれは、「仲良いだけの関係」よりも、実は生産的だったりする。
ハラ生き度っていうのは、
「ありえねぇ」「ゆるせねぇ」「信じられねぇ」
に向き合った深さに比例するんだ。
「ありえねぇ」が「ありえる」に、
「ゆるせねぇ」が「ゆるせる」に、
「信じられねぇ」が「信じられる」に変わったとき、
ぼくらは自分をまたひとつ好きになってる。
それは、またひとつ「からだがゆるんだ」ってことなんだ。
「要らない思い込み」が一つ外れて、また身軽になる。
それがさ「ありえない」「ゆるせない」「信じられない」を相手のせいにしちゃうと、何も変わらないんだよね。
めっちゃもったいない。
「ありえない」「ゆるせない」「信じられない」は、すべてエゴの所業だよ。
これが出てきたときはエゴを「しつけ」してあげるチャンス。
「なんで、ありえないのかなー?」
「どうして、ゆるせないのかなー?」
って自問してみると、ヒントが見つかると思うな♪