「手放す」ってことは捨てることじゃない。「仲良くなる」ことなんだ。
「手放す=捨てる」ではなく、「手放す=仲良くなる」だと思った瞬間、なにかにふっと気が付いた気がした。
それに気が付いたのは、ハラ生きメソッドのワークをやっていたとき。
「執着」すると、相手が離れていってしまう。
しかし「手放す」ことができると、逆に相手は吸い付くように離れられなくなってしまったりする。
そんな体感から、
「そうか、手放すってことは仲良くなることなんだ」と気づいた。
ここでいう「仲良くなる」とは「適正な距離をつかむこと」
日本語で言えば、「間合い」ですな。
「間合い」が良ければ、かなりのことはカバーされてしまう。
だから、誰かとトラブったときなんかは、こう考えてみてもいいと思う。
「別れるんじゃなくて、”適正な距離”が遠くなっただけだ」
と。
そして、それが二人にとっては「仲良くある」ために必要なことなんだと。
人は一人ではいられず、誰かとくっつき、そしてまた離れる。
その無常さを愉しむのが人間だ。
人と人の「間合い」は刻一刻と変わっている。
本人のエネルギーバランス、他人のエネルギーバランス、集団のエネルギーバランスなどが、均衡を保つために変化を続ける。
だから一生固定される関係なんてない。
ずっとそばにいるつもりが離れてしまったり、絶縁したつもりがまた触れ合ったり、つねに豊かな可能性を秘めているのが人間関係だ。
だからこそ、「手放す」必要性が出てくる。
そもそも、どこも固定されていないものを固定しようとするのは大変だ。
掌中の水をどんなに強く握りしめても、むなしくこぼれ落ちてしまうのと同じだ。
手のひらに水を溜めるには、そっとやさしく包みこむ必要がある。
そう、そのあり方こそが、実は「手放す」なんだ。
「捨てる」必要はない。
相手に自由を与えるのが、「手放す」ってことだ。
関係を完全に捨て切ってしまいたくなるのは、自分のなかに、どこか見たくないものがあるんじゃないかな。