何かをバネにしているうちは、「じぶんの本質」にたどり着けない。
悔しさとか不安とか、怒りとかをバネにするのは一時的には使えるかもしれない。
しかし、ある時期からは「何かをバネにする」ということをやめなければ、じぶんの本質に近づいていくことはできない。
何かをバネにするのは、「反動」を使う方法だ。
基本は、マイナスを経験して、それを埋めるためにプラスの何かをする。
「ブスだと言われてフラれたから、キレイになりたい」
とか。
けれども、「反動」を使う方向では、「じぶんの本質」が求める方向へは進んでいかない。
「反動」をつかってしまうと、「嫌だったことの反対」というふうに道が決定づけられてしまうから。
けれども、真の創造というのはゼロから起こるものなんだ。
何もないところから、パッと生まれてくる。
その世界が、ぼくの考える「うつくしい世界」なんだ。
「何かをバネにする」のは、「マイナスがあった」、つまり「傷つけられた」ということが前提になっている。
けれども実は「傷」とか「マイナス」という概念じたいが幻想で。
地下1階っていうのはさ、地球人から観た世界なんだよ。
でも、ぼくらの住むこの地表が、「地底人」から観たら2階なわけ。
それを、どこが1階だってケンカしても仕方ないでしょう?
「視点のスタート地点が違う」んだから。
それで「マイナス」というとらえ方は「なければよかったのに」って思う時に生まれる考え方なんだよね。
「なければよかったのに」って思っているから、それが「マイナス」になる。
でも「あれがあったからこそ今のわたしがある」って思えたら、それは「マイナス」ではなくなるの。
「それをふくめてわたし」
になるの。
そうしたら、もうマイナスからの出発じゃないんだよ。
いつでも「いま、ここ」、ゼロからのスタート。
そうやって、「じぶんの本質」から生み出されるものは、唯一無二のユニークさを持つ。
どこにもないもの。
今までなかったけど、実は求められていたもの。
世界的な革新。
そういったものは、すべて「ゼロ」ベースから生み出される。
「バネ」はさ、ロケットが大気圏を突破するまでは必要なことがある。
けれども、宇宙空間にいったら、そんな「爆発的なエネルギー」は必要ないんだよね。
まぁ、それはステージの問題でもあるんだけど。
地表で、ただ脱力してるだけじゃ宇宙にいけないからね。
それで「別に宇宙なんていかなくても、ここでも充分に幸せだし」
みたいな言い訳してみたりして。
「ええ?宇宙? ああ、あそこ空気ないから俺キライなんだわ」
「そんなにがんばって宇宙めざすことないっしょ」
「おれは、このまま、ありのままで充分だよー」
みたいなキツネ野郎よりは、何かをバネにしてロケット飛ばすほうが、よっぽどカッコいいけどね。
でもある程度までいったら「バネの反動」から自立する時期が来るんだってこと。
覚えておいて損はないと思うよん。