真剣になることを怖がるから、「かりそめの自分」を生き続ける。
先日、「ハラ塾」の2月期がありましてね。
日・月と本気でやってきたんですが、気が付いたことがありまして。
それは、
「おれは、真剣に生きることから逃げていた!」
ってことです。
「真剣」ってね、すごく怖くて苦しいんですよ。
相手と向かい合う。
自分と向かい合う。
口で言うのはカンタンだけど、実はなかなか「体感」していない。
「体感」してはじめて、「今まで出来てなかった」と気づく。
ぼくが気が付いたのは、
「真剣に表現することを恥ずかしがっている」
ってことでした。
それから「講師として前に立つ」役割から逃げていた。
役割から逃げて
「気さくで、みんなと同じ目線の優しい人」を演じていた。
演じているから、本気で思いを伝えるのが恥ずかしい。
本気なんてダサい、一生懸命なんてカッコ悪いと、いまだ心のどこかで思っていた。
スマートにこなしたい。
余裕シャクシャクで達成したい。
涼しい顔でいたい。
そんなエゴがおれの本気を邪魔していた。
それこそ、お恥ずかしい話です。
だから今回のハラ塾を経て、さらに決意を新たにしたよ。
「真剣に生きて、真剣に伝える」
と。
「じぶんの本質」と真正面から向かいあうことは、本当に怖い。
それは「じぶんを開く」ことだからだ。
けれども「じぶんの本質」に出会わないで生きていくことなど、もうできない。
後戻りのできない道を、歩み始めてしまったんだ。
「かりそめの自分」の欲求をどれだけ満たしても、こころとからだの奥から満たされることはない。
「じぶんの本質」を見つけてこそ、本来的な心身の充足を得ることができる。
一度でも「じぶんの本質」に出会ってしまったら、もう逃げることはできない。
ここからまた再スタートだ。