「ハラ生き道」

「からだの軸」が整えば、「じぶんの本質」につながれる。

もっと、もっと!もっと!! 私は、私を生きたいんだーーっっ!!!!

 

昨日は個人セッションで川原にいった。

 

クライアントさんが、すっごいカタチで自分を解放されて、そのレポートを書いてくれたので、ぜひ読んでほしい。

 

 

自分のドス黒い部分を
山で叫ぶといいとある人から言われた
その勇気も機会もないままやり過ごしていたら
オゼッキーが

「叫ぶのにもいい川が近くにあるよ」とアシストしてくれた。
だから私はそれをセッションでオーダーした。

 

 

叫ぶのにいい川 …
イコール
普段は人がいない
川の量ももうちょっとあって川の音もある

…のはずが、今日に限って
釣りか何かもわからん 謎のおっちゃんがいる
川もめっちゃおだやか、もはや せせらぎ…

 

 

まるで、さらに私を試すかのような状況
普通さ、抵抗感じてるんだから
やりやすいように
天は優しくアシストしてくれたらいいのに
私のハラはスパルタ、挑戦的というか挑発的だ

 

 

オゼッキーが見本を見せてくれた
普段の柔らかい声とは違う男性らしい低い、
腹の底からの雄叫びで、声が跳ね返ってきてた

 

私は、とても、出せそうな気に全くなれず
無意識に頭でこれくらいならセーフ?
とか考えた声を出した。


それなりには頑張った。
ハラ的に20-30%

いやー… ただ叫ぶだけ
大きな声出すだけよ?なのに

怖いっ!半端なく怖い!涙うるうる

わーー!!(心の中は号泣)

た 助けて と言わんばかりにオゼッキーに
半べそで こ こわいです。。と嘆く

これは、私の中のチャイルドだと感じた

 

 

オゼッキーが
それが、普段抑えつけてたエゴ が
外れる時の声です と。

 

何かわからんけど、
マジで、マジこえーーーっっ o(>_<、o)

 

でも、どこかでわかってた
いっつも、これがあって、
怖さを採用して、
あともう一歩先 に行けないの。
行きたいのに、行けないの 人の目があるから。

 

本当の本当は人の目を借りた自分の目、制限。
そしてまた自分を残念がるの、
嫌いになるの。いじめるの。
それに納得してたらいいんだろうけど

 

見限きれない自分もいて、納得もできない。
そして自分に怒ってるの、責めてるの。

 

怖くて怖くて、泣けてきて、でも、
踏ん張りたくて、突き抜けたくって、
怖いながらも今のままで声をだしてみた
ハラ的に50-60%

 

その時は
なんで!なんで?!という想い。
今振り返って言葉にすれば
できない自分を責めるような想いと
自分を諦めてほしくないような想いだったのだろうか。。

 

あまり覚えてない

 

でも ハラ的に自分の中でも
まだまだで。悔しかった
奥の奥の、奥を掘り下げたかった
こんなもんじやないって。

 

多分、もうとっくに、完全に
周りとか色々一切頭になかった。

 

自分だけ。感じられるとしたら、自分と
サポートのオゼッキーと川があるだけだった。

もう、ただひたすら、対自分。

背中をさすってくれ、場をホールドしてくれる
オゼッキーに安心しながら、自分に集中できた

 

 

 

そして

もっと、もっと!もっと!!
私は、私を生きたいんだーーっっ!!!!

 

 

という想いの叫びを叫んだ
これははっきり覚えてる

事件性を感じる悲鳴のような想いの声を。

ハラ的に90-100%

 

あのパワーはすごかった と思う。
嗚咽号泣はもちろんだけど
頭がボーッとして脳もピクピクしてた
単なる酸欠かも(叫び時間は何秒かで
長くもないのだけど)しれないけど、
何か私の身体にも刺激が与えられた気がした

 

その場では嗚咽号泣だから見た目はちがうけど
そんな自分が嬉しいと感じていたと思う

 

もっといけるという声もあった。
110%はいけるぞと。

今までは現状への悲痛的な叫びだけど
未来に向かった声を出したいと。

 

でも出来なかった。
途中からエゴが侵入してきたのかもしれない。
頭で100近くいったんだから、次!次!
シメシメ ぐへへ と感じたのかもしれない。

だからハラはストップしたのかも。

 

だからか、詰まりがある気がして
最後は言葉で吐き出した
ふざけるなー!くそー!
もうやめたい!もういらない!もういい!と。

 

言語化すると思考も働く
発したいような気もしたが
それは発してはダメだと判断あった気もした
でも言葉にするとリアルにもなる
どっちもありなのかもしれない。

最後、よくわからないけど
もう、いいー!と叫んだら、、
変わる 終わる 終える

 

という心の声と同時に
ちょうど雲が抜けて太陽が顔をだして
キラキラしてポカポカしたから
もう、いい(OK)って言ってくれてる気がした

 

 

何がもういいのか、終えるのか
よくわからないけど
多分わかってるんだと思う

 

ただ確かなのは、泣くほど超怖かったこと
なのに、それを越えたい自分がいて
それを今できる精一杯で挑戦したこと、
越えた(越えたと言えるのかわからないし、
現実では越えてないから認められない気もするけど、そういう自分だからこそ、ここは認めてみようと思う)こと。

 

 

いやー怖かったー
スイッチ入れば見事に何でもないのに
何なのかねーあの怖さ。笑

 

今思えば笑えるし、
かわいさも愛おしさもある。

 

オゼッキーの今日のブログの言葉をかりれば
怖れながらも向き合った
あの時の私は美しかったと思う。

 

 

クライアントさんのがんばりが、素晴らしかったな。

 

そう、本気で自分を解放するときは、がんばらないとね。

 

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