「ハラ生き道」

「からだの軸」が整えば、「じぶんの本質」につながれる。

愛されるための行動をやめたとき、「愛されていた」ことを知る。

自分を認めたい。

 

ゆるしたい。

 

肯定したい。

 

 

そういう思いがある人は、自分の

 

「行動の動機」

 

をいちいち見つめていくといい。

 

 

「なんで、これを選んだんだろう?」

 

「どうして、これをしようと思ったんだろう?」

 

「なぜ、これをしたいと思うんだろう?」

 

 

そんなことを、常日頃から自分に問うていく。

 

 

そうすると、ぼくらは結構な頻度で

 

「愛されるために」

 

行動をとっていることがある。

 

 

実はそれが苦しみの素だったりする。

 

 

 

「愛されるために」行動しようとする人の根本には

 

「愛されていない」

 

「愛されるはずがない」

 

「愛され方が足りない」

 

という前提がある。

 

 

そこを見つめていかないと、いつまでも「愛される」ための行動しかできない。

 

すると、「ほんらいの自分」が思うような行動、直感やインスピレーションによる行動、「遊び」としての行動ができなくなってしまう。

 

 

なおかつ「愛されるため」に行動したのに、「愛されてる感」をぜんぜん感じない状態が深まっていく。

 

 

なぜなら「愛されてない」を前提に行動しているからだ。

 

 

 

だからこそ、いちいち行動の動機をていねいに観ていく必要がある。

 

 

するとだんだんと、

 

「あ、これは『愛されるため』の行動だ」

 

ということが見えてくるようになる。

 

 

 

そしたら、それをひとつずつやめていく。

 

 

けれども、それはとても怖いことなんだ。

 

 

「愛されるための行動をやめてしまったら、もっと愛されなくなっちゃうー。」

 

 

そんな誤解がアタマのなかに膨らんで、身動きが取れなくなってしまうかもしれない。

 

 

だけれども。

 

やるしかないのです。

 

 

「もっと愛されなくなってしまうかもしれない・・・」

 

 

その恐怖を乗り越えてこそ、ぼくらはラクに、自由に、自分らしく生きられるのです。

 

 

だから、やるしかない。

 

 

「こんなことしたら愛されないよー」

 

と泣きたくなるような行動を取ってみる。

 

 

けれども、その苦しみは一瞬だ。

 

 

今まで長く「愛されないかも」という恐怖を背負ってきたんでしょう?

 

 

だったら今、その重荷を捨ててみてもいいのです。

 

 

いつまでも「重荷を背負ってるかわいそうな私」でいるつもり?

 

 

 

どうしても「愛されるための行動」を辞められないという人は、だいたい「カラダがしっかりしていない」のです。

 

 

からだの軸がしっかりしていないと、「決断」ができない。

 

 

逆に「からだの軸」が出来てくれば、「決断する」ということができるようになってくる。

 

 

もし興味があれば、「からだの軸」をつくる講座に参加してほしい。

center-muscle.hateblo.jp

 

 

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