ハイブランドに憧れて、ハイブランドが大嫌いだった俺。
ぼくは25歳くらいまで、財布やバッグなど、ハイブランドの商品を持っている人はアホだと思っていました。
世間で「評論家」が言うような、
「ブランドバッグを持つのは自信のなさの表れですね」
みたいな仮説を真に受けていて、
ちょっとステキだなと思う女性がいても、ヴィトンの財布などをコーチのバッグから出されると、ドン引き、というか嫌悪感さえ感じていました。
そして、よく分からないけど、そこに劣等感を感じたりもしていました。
ただ、ぼくは自分のこころを見ていくのが好きなので「正直に」自分のこころを覗いてみると、それは
「嫉妬」とか「羨望」
がいりまじった、ゆがんだ感情だったのです。
そこでぼくは、そういうものを持ってみたいのだという欲求に気づきました。
いま思えば、ハイブランドを嫌うのは「親」の思想なんですね。
それもどちらかと言えば母親の価値観だと思います。
地味に、質素に、謙虚に。
そう言葉で教えられたわけではないけれど、背中を見ながら、そういうことを非言語的に感じていたのだと思います。
だからハイブランドの商品を持つ女性を嫌悪していた。
そこには「お母さん大好き」であり、ぼくがハイブランドを認めてしまうことは、「お母さんの否定」につながることだったのです。
けれども、ハイブランドのものを持ちたいという欲求に気が付いてしまった。
それは
「お母さんを裏切る」
ことでもあったし、
「精神的な自立」
を表すものでもあった。
そこでぼくは、ハイブランドに素直に憧れることにした。
いま思えば、スカスカで劣等感まみれな感情なんだけど、それまで蓋をしていたことに気づいたのは前進でした。
ただ、その欲求に気が付いたときにはお金がなかったので、たくさん稼いで、なにかハイブランドの商品を買おうと決めた。
そこでベタに、フランクミュラーの写真をネットで探してきて、BMWの画像を探してきて、寝る前にイメージして寝る、みたいなベタベタな「成功法」みたいなのもやってみたwww
それが功を奏したのか(笑)、30歳くらいのときにブルガリの財布を買うことになった。
6万円くらいだったと思う。
それまで1万円くらいの財布しか使ったことのなかったぼくにとっては、大冒険だった。
けれども、「ハイブランドの商品を持っている自分」に、どこか誇らしげな感情を感じだ。
しかし、面白いことにそこからはハイブランド志向というか、高級志向になってしまい、妻へのプレゼントも高級なものじゃないとダメみたいな思い込みにハマってしまったww
どんだけスカスカなんだ(笑)
で、それが落ち着いてきて、ハイブランドとか無名とか関係なく、「好きなものを選ぶ」ということができるようになってきたのが、2015年ぐらい。
ずいぶん最近ですなwww
それまで、ずっと迷走していたのです。
足掛け10年くらい、さまよっていた(笑)
でも、この10年の迷走も、はじめに
「もしかしたら、この嫌悪感は、『うらやましい』の裏返しなのかもしれない」
と素直に感じたところからはじまったのだ。
もしあのとき、ハイブランド持っている人を否定し続けていたら、10年間なにも変わっていなかったのだろうと思うとゾッとする。
やはり、「嫌悪感」とか「否定感」「批判したくなる気持ち」というのは、ネガティブでありながら、なにかしらブレイクスルーのポイントになるんだ。
けれども、そこから時間がかかる。
「本当に好きなもの」に出会うのは、大変なことなんだ。
ぼくも
「ハイブランド大嫌い」から
「ハイブランドじゃなきゃ価値がない」にブレ、
そこから
「ほんとうに好きなものを買う」
にシフトできたのは、「ハラ生き」を知ったからなんだ。
ハラ生きで、自分の「芯」や、こころの「基礎」ができたからこそ、「ほんとうに好きなモノ」に出会うことができた。
あのときスカスカなままだったら、いまだに迷走を続けていただろうな。
その意味で、「ハラを活性化」して、「じぶんの軸に出会う」ということは、ほんとうに大事なことだと実感しています。