「ハラ生き道」

「からだの軸」が整えば、「じぶんの本質」につながれる。

「手放していい不快」と「向かい合うべき不快」の違い

「感覚や感情にしたがって生きる」ということをやっていくときに、けっこう混乱するのが

 

「この不快は向かいあうべき?手放すべき?」

 

というポイントだ。

 

 

「気持ちいい」を優先すればいい。

 

「自分を大切にする。愛する」

 

「ゴキゲンになるほうを選ぶ」

 

 

などなど、いろんな「教え」がある反面、

 

「ネガティブ感情も感じきれ」

 

「不安に向かい合うこと」

 

「嫌いな人を受け入れることで器が広がる」

 

などの「教え」もあり、

 

「この不快はどうすればいいの?」

 

と混乱している人もいるようです。

 

 

 

というわけで、今日は「手放していい不快感」と「向かい合うべき(消化すべき)不快感」の違いを説明してみたいと思う。

 

 

 

まずは「手放していい不快」と「向かい合うべき不快」の違いは、「誰が不快を感じているのか」という違いだ。

 

 

「手放していい不快」は、ハラが解放されないモヤモヤ感だ。

 

 

たとえば、勇気を出して告白しようと思ったけど、怖くてやめてしまった。

 

友達にムカっとすることがあったけど、ぐっと飲み込んだものの、あとからモヤモヤしてきた。

 

今日こそ上司にガツンと言ってやるゾ!と意気込んで出社したものの、やっぱりイエスマンになってしまった。

 

 

そういう時に出てくる不快感というのは、切り捨てていい。

 

とくに「感じきる」ような大切さはない。

 

 

そんなのを感じないように、ガツンと勇気をもって行動すればいい。

 

 

 

そして「向かい合うべき不快」というのは、ハラからのミッションに対してエゴ(アタマ)が怖がっている状態だ。

 

 

独立したいが、怖い。

 

結婚(離婚)したいが、怖い。

 

もっと目立ちたいけど、怖い。

 

 

そうカンタンに言えば「怖さ」を含む不快感は、ほとんどすべて「向かい合うべき不快感」ということができるだろう。

 

 

もっと詳しくいえば「やりたいけど怖いこと」だ。

 

 

ここが、もっとも向かい合うべきポイントになる。

 

そして、その「やりたいけど怖いこと」「怖いからやっていなかったこと」をやってみると、すごくスッキリする。

 

何かを乗り越えたような、一皮むけたような、自分がほこらしいような気分がする。

 

 

それが「自信」につながっていく。

 

 

さぁ、これで今じぶんが抱えている不快が

 

「手放していい不快」なのか

 

「向かい合うべき不快」なのかが

 

分かっただろうか?

 

 

分かったならば、ぜひその通りに行動してみてほしい。

 

 

きっと心がさわやかに晴れ渡るだろう。