「問題だ!」と騒ぎ立てることが問題だ。~「解決しない」という方法~
ぼくらが「問題だ」と騒ぎ立てることのうち、いったい何パーセントが、ほんとうに問題だと言うのだろう?
「店員の態度が悪かった」
「子どもが言うことを聞かない」
「妻が、私に小言をいう」
ほんの些細なことで、ぼくらの心はブレてしまい、「意識」は自分の中心<ハラ>から「他人」へと移動してしまう。
ぼくらの安寧は、<ハラ>にしかないのです。
他人や環境に「問題」があると設定してしまったら、それを解決しようとがんばることになってしまう。
けれども「他人や環境に問題がある」という前提のままで頑張っても、実はなにも解決しないのです。
「問題」というのは、外部には存在しません。
「問題」というのは、「内部」のブレが「見える化」したものなのです。
そして「問題」だとぼくらが思うのは、どういう時かと言うと、
「そのせいでネガティブな感情になるやんけ!」
というときなのです。
店員の態度が悪い→ムカつく=問題
子どもが言うことを聞かない→腹立つ=問題
妻が小言を言う→いら立つ=問題
ということなのです。
じゃー、問題をなくすにはどうすればいいかというと、2つの方法があります。
ひとつは「感情がなくなること」
けれども、これは現実的な方法ではありません。
「感情を感じないフリ」
「クールなフリ」
「悟ったフリ」
をすることはカンタンです。
けれども、「思い込み」がなくならない以上、ぼくらの感情もなくなることはありません。
むしろ巷間いわれるように、「感情のフタ」をすればするほど、「問題」は大きくなっていくでしょう。
それは「感じないフリ」をした反動です。
ではどうすればいいかというと、それがもうひとつの方法です。
それは
「その感情をネガティブだと判断していた視点から、ネガティブだと感じない視点にシフトする」
ということです。
エゴは、怒りや不安、おそれや悲しみを嫌い、それを排除しようとします。
それは、エゴの性質です。
<ぼくらの本体>がエゴと同期しているときに、怒りや不安を感じると、「ネガティブ」と判断します。
けれども、<ぼくらの本体>がハラに同期しているとき、怒りや不安は「エネルギー」となります。
そうすると「怒りや不安」は、「排除したいもの」ではなくて、「ありがたいもの」になります。
ということは、
店員の態度が悪かった→ムカつく=ありがたいこと
(以下同文)
となり、あらら、問題が消え去ってしまいました。
そして、問題の代わりに「ありがたいこと」まで出てきました。
しかし、どうしたらこうした芸当ができるのでしょうか?
何にでも感謝できる立派な人になる?
厳しい修行を続けて、こころの鍛錬をする?
いいえ、そんなことは必要ありません。
大切なことはひとつ
「からだの軸を保つ」
ということなのです。
からだの軸が保たれているときは、呼吸が安定しています。
そして、「自分じしん」にピントが合っています。
すると、充分に感情を感じきることができるのです。
「感情を充分に感じきる」のは苦行ではありません。
ポジティブであれネガティブであれ、「感情を体感する」ということはすべて、<ハラ>のエネルギー源なのです。
つまり「感情を体感する」ということは、<ハラ>が起こす奇跡のエネルギーをチャージしているということなんです。
だからあなたが今、怒りにしろ不安にしろ、なにかしら感情を抱えているのなら、どうぞ呼吸と姿勢をただして、その感情を充分に味わってみてください。
それが<ハラ>のエネルギー源となります。
だからこそ、「問題は解決しなくていい」のです。
「問題」にフォーカスし、「問題がある!」と騒ぎ立てるとき、ぼくらは自分の中心<ハラ>からブレてしまいます。
そうじゃなくて、自分の中心<ハラ>に還ることで、宇宙の中心にアクセスするのです。
そこからエゴでは思いもつかないような解決法がダウンロードされてきます。
<ハラに還る>ということは、そのパイプをしっかりさせるということなんです。
そして<ハラに還り、からだの軸をつくる>には、「からだをゆるめる」ことが必要になってきます。
「からだをゆるめる」方法は、こちらで動画で公開しています。