そもそも「ハラ生き道」って、なんやねん?!
今さらですが、ご要望があったので、
「ハラ生き道」って、そもそもなんやねん!っていう記事を書いてみますね。
「ハラ生き道」、それは「ハラの声」にしたがって生きる生き方であります。
現代人は、アタマやエゴで考え、計算し、損得で選ぶということに慣れすぎてしまいました。
その結果、自分のことしか考えない人が増えた。
そして、どうなったかといえば、不幸な人が増えたわけです。
それはすべて、からだをエゴに乗っ取られたことが原因だと考えます。
だからこそ、「ハラ生き道」では「ハラの声」に耳を澄ませ、ハラの声にしたがって生きることを推奨しています。
「ハラの声」とは、ぼくらの「ホンネ」や「本心」と言い換えることができます。
じぶんの「こころの奥底の声」「本当にやりたかったこと」「本当に欲しかったもの」に出会い、自分を思い切り表現して生きる。
それほど気持ちのいいことはありません。
だからみんながハラの声にしたがって生きればいいのですが、ついエゴの声が邪魔をします。
「生活はどうするの?」
「現実的に考えなきゃ」
「そんな不安定なことはしたくない」
エゴは、自分の安全や安心、安泰のことばかりを考えます。
その結果、「つまらない」「面白くない」「たのしくない」毎日を作り出してしまうのです。
ハラ生き道とは、そんなつまらない毎日から抜け出し、自分の人生を生ききる道です。
じぶん自身を、表現しきるのです。
果たして現実の生活があるなかで、そんなことができるのか?
そんな疑問が沸いてくるかもしれません。
けれどもぼくらは、もともとそんな生活をしていたのです。
それは「子ども時代」です。
子どものころ、ぼくらは明日のことを考えずに遊んでいました。
「いま」に集中して、目的もなく、無邪気に遊びきっていました。
遊んで、ケンカして、泣かし泣かされ、仲直りし、いつでも感情を思いっきり表現して、「ありのまま」を愉しんでいたのです。
それがいつのまにやら「オトナの論理」を覚えてしまい、この世界の面白さを忘れてしまったのです。
そう、「ハラの声」とは「子ども心」や「童心」のことでもあります。
後先のことを考えず、ただ、遊びきる。
これは、子どもだけの特権と思われがちですが、実はオトナもこの論理で生活することが可能なのです。
現にぼくは、自分の好きなことしかやっていません。
からだを研究し、文章を書き、家族とおでかけし、妻とデートし、セミナーやセッションをする。
すべてが遊びです。
それでも一家の大黒柱として、生計を支えています。
妻はぼくと一緒に働いていますが、パートなどでは稼いでいません。
そう、オトナでも本気で遊べば、十分にやっていけるのです。
そのために必要なのは才能ではありません。
ハラ生き道を歩むのに大切なのは、「勇気」です。
「いま」に集中しきる覚悟。
「大いなるもの」を信じる勇気。
この世界をありがたく感じる謙虚なこころ。
そういった心持ちを整えていくことがハラ生き道です。
そういった心持ちを整えるために、ハラ生き道では「からだ」からアプローチしていきます。
具体的には、「からだの内側」を動かす方法を学びます。
創始者のおぜっきーの知識と経験を総動員してハラ生き道は体系化され、今でも進化を続けています。
ハラ生き道には、ふつうの成功メソッドのように、「うまくいく」ことを目指す発想がありません。
なぜなら、「すべての出来事には意味がある」と考えるからです。
つまり、「すべてはうまくいっている」「すべては完全・完璧に運行している」のだから、あとはそのように感じる身心を育てればいいだけということです。
それを邪魔するのはエゴです。
そのエゴを押さえつけることなく、エゴの言い分も聞きながら、エゴをしつけていく。
そして「ハラの声」にしたがい生きていく。
それは「すべての感情を体験しきる」ということです。
ハラ生き道の最終目標は「何があっても幸せを感じられるからだを育てる」ことです。
言い換えると「どんな感情をも楽しめる身心を育てること」であり、
「すべてのできごとに感謝できるこころを育てること」「なくならない絶対的な幸せを身に付けること」でもあります。
それをおぜっきーが、できているかと言えばできていません。
ハラ生き道は、永遠に完成しないプロセスです。
だから「道」なのです。
そんな道をともに歩んでいこう、というのがハラ生き道なんです。
現在ではハラ生き道は、以上のように定義されています。
参考になったなら嬉しいです♪