「ハラ生き道」

「からだの軸」が整えば、「じぶんの本質」につながれる。

「いつかやる」という「後回し発想」で、自分の人生を食い潰していく。

 

「現実的に考えて今は無理」

 

「今はガマンしておく」

 

「いつかはやろうと思っている」

 

 

こんな「後回し発想」で、「いま」がどんどん死んでいく。

 

 

ハラ生きには、「後で」という考え方はない。

 

「いやー、今はちょっと忙しいんで」

 

と人は言う。

 

 

けれども、「いま、忙しい」人は、明日も明後日も忙しいのだ。

 

なぜなら、「忙しい」のは物理的な時間の問題ではなく、こころの問題だから。

 

 

「からだの軸」が感じられなくなり、「腑抜け」状態になってくると気が上がってくる。

 

 

そうすると、時間が足りなく感じる(ちなみにお金も愛情も足りなく感じる)

 

 

つまり、からだに満足感がないので、つねに「渇望状態」になっているんだ。

 

 

すると、それはそのまま行動にも現れ、「忙しいから、後にしよう」という発想になってしまう。

 

 

 

ハラ生きとは、「いま、やりたいことを、やりたいように生きる」生き方です。

 

けれども、この「やりたいこと」という表現が、非常に誤解を招きやすい。

 

 

この「やりたいこと」というのは、エゴの話ではないのです。

 

たとえば

 

「今すぐ南の島にいきたい」とか

 

「ケーキをお腹いっぱい食べたい」とか

 

「バイクで日本中をツーリングしたい」とか

 

そういうエゴエゴしいお願いを「やりたいこと」と仮定したら、たしかにそれは「後回し」にする必要がある。

 

 

けれども、ハラ的にいう「やりたいこと」というのは、そういう欲求のことではないのです。

 

 

欲求というよりは、「確信」に近いのが「ハラのやりたいこと」です。

 

 

そして「ハラのやりたいこと」は、つねに「目の前」にある。

 

「ハラのやりたいこと」は「いま、ここで、できること」のなかに必ずあるのです。

 

 

たとえば、今ぼくがやった

 

「おでこをかく」とかそういうこと。

 

 

「おでこをかこう」という意志も、

「おでこがかけるかな?」という心配も、

「おでこをかくぞ!」という意気込みもない。

 

 

ただ、「かける」という確信が潜在的にあって、それはすぐに達成された。

 

 

そういう小さい、ひとつひとつの行動に対して丁寧に観察していく。

 

それがハラ生きなのです。

 

 

だからハラ生きには、

 

「お金がないからできません」

 

という言い訳がない。

 

 

そう、「お金がなくてできない」のはエゴのやりたいことです。

 

「ハラのやりたいこと」は、「いま、ここ」に必ずあるのです。

 

 

それをていねいに、繊細に、ストイックに感じていく。

 

すると「いま、やると気持ちいいこと」というのがあるのです。

 

 

あとは「いま、やるとドキドキすること」もいいよね。

 

 

たとえば、

 

「ちょっと申し訳ない気がするけど、店員さんに水を頼む」とか

 

「久しぶりの友人にメール・電話してみる」とか

 

「妻に”愛してるよ”と言ってみる」とか

 

そういう小さなドキドキ・ワクワクってあるでしょう?

 

 

そーゆー、「いつもはプチ回避してて、それから逃げてても問題になってない」ような些細なチャレンジをしていく。

 

 

別に清水の舞台から飛び降りるような真似だけがハラ生きじゃない。

 

 

毎日の生活の小さなことのなかに、あなたを変える奇跡が眠ってるんだ。

 

そしたら

 

「今はサラリーマンだから冒険できません」

 

なんて言い訳できないでしょ?

 

 

いつもはイエスマンの人が部長に「お言葉ですが…」と反論してみる。

 

イヤミな得意先と縁を切る。

 

部下に怒鳴っちゃう人は、怒鳴らないで反省する。

 

逆に怒れない人は、ビシッと叱ってみる。

 

 

ほら、そんなことをイメージするだけでもドキドキしてくるでしょう?

 

それが、ぼくのいう「冒険」なんだ。

 

 

いつもと違う道を。

 

いつもと違う言い方を。

 

いつもと違う表情を。

 

 

そう、「いつもと違う」のなかに、あなたは宝物を隠している。

 

 

その「いつもと違う」宝箱をあけてみると、きっとそこには奇跡っていう名前の宝物が入ってるんだ。

 

 

わかるかな?

 

 

小さいことを大切にできない人に大きなことは達成できない。

 

大きなことを考える人ほど、小さなひとつひとつのことに向かい合っているんだ。