「比べない価値」に気づくと、自分をもっと好きになれる。
「自分なんていらないんだ」と思っている人って、「くらべる」のが大好きなんだよね。
いつでも基準が「誰々よりも…」という軸になっている。
そして「誰々よりも」から抜け出さないかぎり、苦しさはなくならない。
これは誰でもない。
ぼくの話だ。
ぼくは、こういう「からだ系のセミナー」なんかをやっている。
なんか不思議で、なんか愉しそうで、かつ役に立つ。
そんなセミナーでごわす。
で、もちろん、こういう動画をはじめて見る人もいると思う。
けれども、こういう系統のセミナーって探せばいくらでもある。
「気」とかスピ系でもあるし、心理系でもあるし、もちろん身体操作系もある。
それで面白いのは、似たようなセミナーとかを見つけると、なんかちょっとイラっとするんだよね(笑)
で、そのこころは
「ふん。おれのがすごいし」
なのww
逆に、かなり修行してる人のを見ると
「うわっ、おれのがショボい…」
って思っちゃうw
いずれにせよ、「くらべる」心が出てきちゃうんだよね。
それでさ、以前はそれでいちいち気分が一喜一憂してたんだけど、最近は「それ違うな」って思って。
おぜっきーのセミナーはさ、宇宙で唯一無二なんだよ。
宇宙に一人しかいないおれがやるんだから、完全にオンリーワンなんだよ。
だから、「くらべる」ことで価値なんか付けられないんだよね。
で、もし「比べられてしまう」としたら、それは「じぶん自身でありきる」っていう軸が足りないからなんだよね。
ぼくらが、「自分の中心」になりきるとき、ぼくらは比較されない存在になる。
それは内側からあふれてくるものに正直になるって意味なんだ。
生まれる前から、魂に刻まれているものに出会うこと。
それがハラ的な意味での「ブランディング」なんだ。
(「ブランド」の原義は、家畜を間違えないよう焼き印を押したこと)
で、逆に「中心」とか「軸」が見えないとき、ぼくらは「外側」ばかりを見ていて。
「それと比べておれはどうだ」
というふうに考えたとき幸せ感はなくなり、優越感か劣等感しか分からなくなる。
それはどっちも不幸なんだよね。
優越感を幸せだと勘違いしている人は多い。
けれども、「じぶんの本体」を大切にすることが分かりはじめると、優越感などクソ感情なんだと気づくようになる。
ちょっと前のブランディングだと「何屋さんか分かることが必要」って言われてたんだけど、これからは「何屋さんか分からないほうが素敵」ってなるのかもしれない。
もはやおぜっきーも、自分が何者なのかうまく説明ができないwww
セミナーを紹介してくれる人も、「どう言っていいか分からない」と。
それでいいんだ。
「とりあえずいっぺんおぜっきーのセミナーに出てみて」
そう言われたら、おれは光栄だな。
で、話は逸れたけど、
「自分なんてダメ」とか
「価値がない」とか
感じちゃう人は「それって誰とくらべて?」って質問を自分にしてみるといいよ。
そしたら、だいたい「比較対象」が出てくるから。
で、その人に嫉妬しても羨望してもいいんだけど、それはエゴなんだって気づくことね。
ほいで、そこからもう一度、視線を自分に戻していくんだ。
そうやって「内側からあふれ出る愉しさ」にフォーカスしているとき、「比べる」ことで起きるコンプレックスからは解放されているはずだよ。
あとはこのメソッドでからだの中心と軸がわかればバッチリだね。