「ハラ生き道」

「からだの軸」が整えば、「じぶんの本質」につながれる。

ちゃんとブレないと軸なんて決まらない。~ブレるから軸が見えてくる~

「ブレない」ことを目指す人にとっていちばん大切なのは「ブレること」を認めるってことなんだ。

 

 

ブレて、ブレて、ブレきるから、その営みのなかで「ブレない軸」が見えてくる。

 

 

軸は「決める」もんじゃない。

 

ブレ続ける流れのなかで、「決まる」もんなんだ。

 

 

からだの軸もそう。

 

軸を作っちゃうとぶつかるのね。

 

 

そうじゃなくて、いろいろとからだを動かしていくと、動かない部分があるんだよ。

 

それが「結果的に」軸になるんだよね。

 

 

この「結果的に」っていうところがすごく大事。

 

これは「自然に」とか「勝手に」とか言い換えてもいい。

 

 

つまり「軸を作ろうとしない」ってこと。

 

 

じゃあ、何を意識したらいいかっていうと、それは「気持ちよくなること」。

 

 

そう、快適さを追求していくと、それが後々ふりかえってみると「軸」になってるんだよね。

 

 

「こんな轍をつくろう」って意識して走る馬はいないでしょ。

 

 

それとおんなじで、自分の好きなこと、やりたいことをとことん追求していった結果、

「ああ、これが軸なんだなぁ」

ってことが見えてくるの。

 

 

からだもそう、「快適さ」「呼吸の気持ちよさ」を追求していくと、自然と軸を体感できるようになる。

 

 

だから、こころでもからだでも、いま「軸」が体感できなくても焦ることはないよ。

 

「〇〇さんは軸があっていいなぁ」ってうらやましく思う気持ちもわかるけれども、人それぞれのプロセスがあるからね。

 

 

別に死ぬまで軸が見つからなくてもいいんじゃないかな。

 

 

アメーバは軸ないしね。

 

 

でも生きてる。

 

 

それよりも大切なことは「ブレを許容すること」だよ。

 

 

それは言い換えれば「ブレを観察すること」でもある。

 

 

面白いことに「ブレ」を観察し、それをゆるせばゆるすほど、その「ブレをゆるしている存在」に気づいていくんだな。

 

 

で、それが「ブレない存在=ほんらいの私」であるわけで。

 

 

だからブレがなによりも大事なんだよ。

 

「軸!」ってがんばって固めてしまったら、逆に軸は感じられなくなってしまう。

 

 

軸はかならず、「ゆらぎ」のなかにあるんだ。

 

からだの「立ち方」もそう。

 

「ゆらいでる」立ち方が最強。

 

 

からだは固めたら弱くなるんだ。

 

 

だから難しく考えず、とりあえずやりたいことをやってみたらいいんじゃないかな。

 

「これ違う」って思ったら、やめればいいし。

 

「腰の軽い行動」をしていると、実際にからだもかるくなってくるよ。

 

 

そうやって「愉しく生きるためのコツ」が、からだを通じて感じられるのがハラ生き道なんだな。

center-muscle.hateblo.jp