「最近、だいぶ分かってきた」と感じるときほど停滞している説
傲慢の影は、気づかぬうちにそっとやってくる。
はじめは謙虚にやっていたのに、いつのまにか、ほんとうにいつのまにか、ぼくらは傲慢になってしまう。
いま、自分の気持ちを観察してみると、次のどちらに当てはまるだろうか。
「だいぶ分かってきた」「できるようになってきた」「いい感じ」と感じるだろうか。
それとも
「ぜんぜんダメだ」「まだまだ恥ずかしいレベル」「未熟だ」と感じるだろうか。
もし前者の感覚ならば、それは停滞している証拠なんだ。
なぜなら過去の自分と比較して、安心してしまっているから。
逆に後者の感覚を持つ人こそ、いまこの瞬間に進歩している。
けれども、面白いことに後者の感覚を持つ人ほど、その感覚を「どうにかしよう」と思ってしまう。
「否定感」を消したいと思ってしまうんだ。
しかし、この否定感というのはとても大事で、これがあるからぼくらは進歩していくわけです。
だからむしろ「ただしい否定感」が出ているときは、
「苦しいけど、進んでるんだ」
「進んでるから、苦しいんだ」
というふうに考えていいと思う。
以前、整体の勉強会に出ているときに面白い話を聞いた。
だいたい勉強会に出てくる人というのは「売れている先生」が多い。
そして売れてなくて、その情報が必要な先生ほど来ないと。
売れている先生は、売れているのに「まだまだ」と思っている。
だからさらに勉強し、さらに売れていくのだそうだ。
売れてない先生は、基本「お金がない」という理由で勉強しない。
それで、また売れなくなっていく。
ダイエットだってそう。
ほんとうに必要な人は、あんまりしてなくて、「えー、そのままで充分じゃん」という人ほど、「あと2,3kg」をきっちり落としたりする。
その違いはなんなのか。
それは「きちんと自己否定できるかどうか」ってことなんだ。
つまり「過去を切り捨てる力」だ。
それによって
「まだまだできてない」
「未完成で、未熟だ」
と感じられれば「もっともっとできる」という気持ちになり、伸びしろをイメージすることができるからワクワクしてくる。
それが
「もうできてる」
「だいたい、わかっちゃった」
「知ってるから大丈夫」
という傲慢な意識になってくると、「伸びしろ」もなくなり、つまらなくなってしまう。
つまり「今、つまらない」と言う人は、「分かった気」になって、自ら「伸びしろ」という楽しみを潰しているのだ。
けれども、たとえば「からだ」の世界などは、ほんとうに終わりのない世界だ。
研究しても研究しても、わからないことだらけなんだ。
だから、愉しい。
だから、やりがいがある。
「立つ」「歩く」「座る」などの、単純な動作一つでも、無限の拡がりがある。
それだけ深い。
「できる」ことなんてハラは面白いと思わないんだ。
それよりも「できないこと」「うまくいかないこと」
そこに価値を見出していくことが、ハラ生きにつながっていくんだ。
そう、「簡単にできない奥深い道」を見つけると、人生って愉しくなると思うな。
「いま、この瞬間の自分」として捉えられるのは、実際の「いま」よりもほんの一瞬、過去の自分なんだ。
その過去の自分をバッサリと切り捨てる。
そして「難しくてできない」世界を探求していく。
ハラ生き道では、カンタンで愉しくできるけど、一生ものの奥深さをもったメソッドを提供しています。