自分の中心に出会い、自分の中心に居続けるということ。
タイヤでもコマでも、中心の軸がブレるとエネルギーをロスしてしまうように、ぼくらも自分の中心から離れれば離れるほど、力を失ってしまう。
だからエネルギーを最大限に活かすには、「自分の中心」に出会う必要がある。
カラダをゆるめて呼吸をゆるめて意識をゆるめていくと、ぼくらは「自分の中心」に下っていく。
それがハラだ。
しかしハラは「お腹」ではない。
ハラ生き道の入門や初級では、「ハラ」の具体的な使い方を説明しているが、あくまで「お腹」というレベルだ。
実際の「ハラ=自分の中心」というのは面積や体積のない、”点”なのだ。
なおかつ「何もない場所」。
それが「自分の中心」である。
「自分の中心」には何も無い。
けれども、そこには何もないがゆえの「よろこび」や「やすらぎ」があり、そして「感謝」がある。
これは言葉では表現しにくい。
ただ、エゴのいう「安心」や「よろこび」というレベルではない。
エゴ的な比較による「よろこび」や、環境に依存した「やすらぎ」ではない。
それらをすべて超越したような「すべていい」という感覚なのだ。
言葉で説明しようとすると、どうしても実際の感覚とズレてしまうが、あえて言語化すると、
「よろこび」と「やすらぎ」と「感謝」、そこに「さみしさ」を加えたような感覚に近い。
それがぼくにとっての「自分の中心」に居るときの感覚だ。
ここに出会うということは、ハラ生き道のひとつの道標であります。
けれども、「自分の中心」に出会うことは、道半ばにすぎない。
次は「自分の中心に居続ける」というステージに移行する。
これが難しい。
ぼくらの意識は、すぐに分散してしまう。
「自分の中心」に意識が定まったかと思いきや「定まった!」という念により、すぐに中心からブレてしまう。
それは「できた!」「わかった!」という余計な「おもい」のせいで、意識がブレてしまうのだ。
「ただ、中心に居続ける」
これほど、難しい課題はない。
けれども、これが深まってきたとき、一体どんな世界が目の前に現れるのか。
それが楽しみで仕方がない。
そんな道を、一緒に歩いてみませんか。