人間の可能性は有限である。~人間らしさとは~
前回までの記事から導きだされる結論として、
「人間の可能性は有限である」
ということが言えます。
人間の可能性は、けして無限大などではない。
ましてや、「ひとりの人間ができること」というのは、絶対的に有限なのです。
乙武さんは、どう努力してもイチローのようにはなれなかった。
ぼくは、今から努力しても棋士にはなれない。
才能とセンスがない人は、起業には向かない。
そう、どう考えても現実的には「限りがある」のです。
そしてまた、残酷であります。
けれども、この残酷さをないことにして、
「あなたにもできる!」
「俺はできたから」
「人間の可能性は無限大だから!」
と、ただ火をつけることこそが、本質的には残酷だと思う。
だって、できない人にはできないんだもん。
たとえば文章だって、努力しても書けない人は書けないよ。
飛び込み営業、無理な人には無理だよ。
結婚生活が、向かない人だっているよ。
おれは、総理大臣にはなれないよ。
あなたは今からプロ野球選手にはなれないよ。
ブサイクはジャニーズに入れないよ。
そう言われてみれば、ぼくはセッションのときに「無理無理!あきらめな」ということをよく言っている。
この法則を言語化する以前に、自分ではハラ落ちしている感覚があったようだ。
「え?ふつうになりたい?ムリムリ!あきらめなさい」
「え?自分のことを分かってもらいたい?ムリムリ、あなた変態だからあきらめな」
「え?もっと強くなりたい?ムリムリ!弱くていいんじゃない?」
とせっかくの希望を絶望に叩き落とすのが得意なようです(笑)
そして、きちんと絶望しますと、ぼくらは脱力してしまいます。
それから、やる気がなくなります。
しかし、そのときこそが、ほんとうの意味でのチャンスなのです。
脱力=ゆるみ、です。
そして、ゆるむとぼくらは「本領発揮」するのです。
その「本領」はけして無限大ではありません。
どう考えても、有限です。
だから「身の程や身の丈を知る」ということが大事です。
しかし、ぼくらの「なくならない幸せ」というのは「身の程」「身の丈」のなかにしかないのです。
だから、できないものはできないと、あきらめていく。
そして、だんだんと「あきらめた人」が増えてくると、そこに「役割」が生まれてくる。
「役割」が生まれると、自分ができないことをやってくれる人に対して感謝が生まれる。
そして感謝が生まれれば、幸せ感が生まれる。
その論法で、「身の程、身の丈を知ることが幸福につながる」のです。
はっきり言って、夢も希望もない話です。
でも、夢も希望も要らないんです。
そんなことよりも、「足元を見る」ことが大事です。
それじゃ悲しいっていうんなら、56%まで夢を見てみてください。
MAXで78%までは「愉しい感じ」になると思います(笑)
というわけで、長くなりましたが、読んでくださった方、ありがとうございました。
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基本的には、巷間で流行っているテーゼに対しての問題提起なので、ぼくの好きな人、尊敬する人の言っていることに対しても、論駁するような趣旨になっています。
ただ、個人攻撃や個人批判をすることが目的ではなく、あくまでなるべく普遍的で、かつ立場や視座をあきらかにした言説が知られるといいなという思いで書きました。
ご理解いただければ幸いです。