「ハラ生き道」

「からだの軸」が整えば、「じぶんの本質」につながれる。

幸せになりたいんじゃなくて「幸せに見られたい」だけなんでしょ?

ぼくが以前に衝撃を受けたフレーズのなかに、

 

「幸せになるっていうか、幸せな家族だなって思われたい」

 

というのがある。

 

 

正直に言って、

 

「なに言ってんだ、こいつ」

 

という感じだった。

 

 

学生のころから、人の目など気にせずやりたいことをやっていたぼくとしては、「他人から見た幸せ」なんて、本当にどうでも良かった。

 

 

雰囲気とかムードというのが嫌いで、機能ばかりを追求していた。

 

変だと思われようと、合気道の上達のために公園で木刀を振り回していた。

 

街中でも、歩き方の練習をしていた。

 

本屋に就職してからも、品出しをしながら身体運用を研究し、ときにはお客さんに変な目で見られていた(笑)

 

 

そういう感じで、とにかく「他人からみた幸せそうな感じ」とかには全く無頓着だったぼくにとって、

 

「幸せな家族だなぁって思われたい」

 

という欲求は、想像もしない方向から矢で射抜かれたような衝撃だったのだ。

 

 

けれども、だんだんと大人になるにつれて分かってきたのは、どうも、そっちの欲求を持った人のほうが多いようだ、ということだった。

 

 

たとえば、ぼくは団地の生まれで22歳まで3DKの団地に5人家族で住んでいた。

 

当時で築30年くらいの、お世辞にもキレイとは言えない団地だ。

 

けれども、ぼくはそこに何の不便も恥ずかしさも不満も感じていなかった。

 

 

「一人部屋」がなかったことだけが、思春期にはイヤだなと思ったことはあったけれども、それ以外には何も困ることがなかった。

 

もちろん、きれいで大きな家に住む友達をうらやましいと思ったことも、一度もなかった。

 

 

 

しかし、どうも妹は違ったようで、高校生になるころにはそんなに広くない自分の家を恥ずかしく感じていたようだ。

 

そこには男と女の違いもあるのかもしれない。

 

いずれにせよ、「人から見た感じ」について強く意識している人が、意外に近くにいたのである。

 

 

どうも人は内側の自信が揺らいでくると、外側から「ねぇ、私って幸せだよねぇ?」ということを確認したくなるらしい。

 

 

ぼくが千葉県の田舎で本屋の店長をやっていたとき、やたらとルイ・ヴィトンの財布を持っている人が多かった。

 

 

それも、その人が持っていると本物でもニセモノに見えてしまうような、ハイブランドが「似つかわしくない人」が持っていることが多く、「田舎っぺに見られないように」と頑張っているように、ぼくには映った。

 

 

ハイブランドなんて、いくらでもあるのに、ヴィトンしか知らんちゃうかと…。

 

 

なーんて言ってるぼくも、ほんの少し前まで「高級品」が好きで、「高ければいいもの」と思っていた。

 

だいぶブレていて、「好きなモノ」よりも「高級なもの」をあえて選ぼうとしていた。

 

 

妻に渡すプレゼントも「高くなければ恥ずかしい」とばかりに、だんだんと金額をあげていた。

 

料理の味もわからんのに、とりあえず高級なお店で食事をしてみたりした。

 

 

そして、そんな自分になってはじめて、人間にとって「見られたり、見せたり」という欲求は、かくも強いものかと実感した。

 

そして、そこからこんな感じに戻ってきたのだが、

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よくよく内観してみると、今度は「そういう俗物的な欲求からは卒業いたしました」的なマウンティング感が微妙に絡んできているのだ。

 

 

 なんと「ありのまま」とは難しいものだろうと愕然とする。

 

 

 ちなみに、「愕然とする」っていうのは、つい音のひびきから「ガクッとショックを受ける」というような使い方をしてしまうが、実は「非常にびっくりする」という意味なんですという解説などを入れるのも、アホぶってても実はけっこう知識あるんです、というアピールなのである。

 

 

 

そしてこの解説も、「そうやって自分のことをちゃんとわかってます」というアピールに他ならないのだ。

 

 

 

で、何が言いたいかって、そのアピールがなくなるほどに愉しくしていると、それが「なくならない幸せ」につながるよってことです。

 

 

 

「幸せに見られたい」ってアピールするときは不安なとき。

 

 

 

それは「ハラの力」が抜けてるときなんだよ。

 

 

朝とか夜に不安が増大する人いるでしょ?

 

 

それは横になるから姿勢筋としてのハラのセンターマッスルがゆるんじゃって、不安が増大するんだよね。

 

 

でも、「好きなこと」「愉しいこと」それから「怖いことにチャレンジ」」していくと、ハラの力が回復してくるんだよね。

 

 

もうハッキリいって、物理的にハラ内部の筋肉が動けば不安とかなくなるんだよね。

 

 

そしたらさ、「幸せに見られたい」っていう欲求も減ってくるよ。

 

 

それでリアルに切実に「幸せになりたい」って思ったら、一瞬でなれるんだよね。

 

 

ただ呼吸の気持ちよさ、生きている喜びを思い出せばいいだけだから。

 

 

それがさ、そこに「こう見られたい」とかいう余計な気持ちが入ってくるから面倒くさくなってるんだよ。

 

 

そう、だから「幸せになりたい」とか言ってるヒマがあったら、その場で幸せになりゃいいんだよね。

 

 

それを「〇〇だから不幸」って固めちゃってるのは、「〇〇が幸せ」って、他人目線の評価で視点が固まってるからなんだ。

 

 

それもさ、面白いことに「目の筋肉」を動かしてくと変わってくるんだけどね。

 

 

まー、そういうことで、いまの自分の欲求が「幸せになりたい」なのか「幸せに見られたい」なのかを一度チェックしてみると、いいと思うよ。

 

 

そいじゃー、またね♪

 

 

 

 

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