分かっていない人ほど「もうそれは分かってる」と、うそぶく法則
なぜ、「分かっていない人」ほど「分かってる」という顔をしたがり、「もう知ってる」ということを主張したがるのか。
それは、「分かっていない」ということが他人にバレてしまうのが怖いからだ。
「分かってます」というフリをしたがる人は、心の奥で、「ぜんぜん自分は理解できてない」と知っている。
そして、それがバレてしまったらバカにされる、理解力が低いと笑われる、能力がないと見捨てられると、極度に恐れている。
だからこそ、「分かってます」ということを不自然なまでに強調してしまう。
ぼくも仕事柄、「センターマッスル」とか「ハラ」とかをのべ何百名の方にお伝えしてきました。
その経験上、「分かってる」というフリをしたがる人ほど、理解できていないケースがほとんどだった。
そのポイントは、
・実践していなくて質問ばかり。質問に答えても言い訳して実践しない
・質問のポイントがズレている
・依存型で、「学ぼう」というよりは「教えてもらおう」という受け身の姿勢
・自分のモノサシに当てはめて考えようとする
・自分で責任を負わずに、愚痴と不満ばかり
ということが挙げられる。
つ・ま・り、アタマでぐるぐる考えるだけで行動がない。
逆に、「深いところまで分かってくれるなぁ」という人は、
・とにかく素直に学ぶが、自分の軸はブラさない
・同じワークからでも、さらに「深み」を学ぼうとする
・普段から「実践」している
・なんらかの業界で成果を出している
・「自分で決めた」ということに責任を持っている
という方が多かった。
こういう方は、考えながらも行動し、勇気をもってチャレンジし、どんどん「ハラ」と「センターマッスル」で変化していってるようです。
何事も、自分が深く深く観ていけば、そこに「分からない」があり、それがハラの喜びになる。
そう、ハラは「わかる」よりも「わからない」奥深さに惹かれるのだ。
ぼくらが「わかる」ことなんて、永久にない。
たとえば書道でも「一」という漢字をはじめに書く。
しかし死ぬまで最高の「一」を求めていく。
合気道では「正面打ち一教」という技をはじめに習う。
けれども、何年やっても難しく、奥が深く、いつまででも進歩する技だ。
たとえば、歩くこと、息をすること、立つこと。
そんな「誰でもできる」ようなシンプルなことにこそ、ホンモノの奥深さがある。
そして、どんなことからも、かならず学べることがある。
こういう「上達の構図」を体感で分かっている人は、そうカンタンに「分かってます」「知ってます」なんて言わない。
なぜなら、「分かってます」と主張することは、「自分のレベルはこの程度です」ということを宣言してしまうことだからだ。
つまり「上達の構造」を分かっている人にとって、
「分かってます」
「もう知ってます」
というのは、絶対に口にしない恥ずかしい言葉なのである。
「(アタマで)分かってます」
「(アタマで)知ってます」
「(アタマで)やってます」
別にそういう態度を取りたい人は取ればいいと思うけれども、それは「ハラ生き」から遠ざかることなのだ。
「ハラ生き」とは、「分からない」を楽しみながら、
・ただやること
・淡々とやること
・勇気を持ってやること
・軽やかにやること
・愉しくやること
で、アタマで理屈をこねくり回すのとは違う。
なんにも理屈なんていらない。
カラダを内側から動かしていけばいいだけ。
超超超超シンプルなのだ。
けれども、そのシンプルさの中に、絶対に到達できない奥深さがある。
それがハラなんだ。
そんな「ハラ生き」に興味がある人は、よかったら↓の無料メール講座を読んでみてほしい。