「お金がなければ出来ないこと」は、「やりたいこと」じゃないのよ。~”いま、やりたいことをやる”の真意とは~
「やりたいことをやる」という9文字は、カンタンなようで、いろいろな誤解を生む言葉なんだね。
生きるということは、このシンプルな9文字に集約されていると思うけど、ほとんどの人が自分都合に解釈してしまい、複雑になっている。
そのなかでもLINE@で会話していくなかで、誤解の多そうなポイントについて書いてみたいと思う。
それは「やりたいことをやりたいけど、お金がないから出来ない」
という話。
これは微妙にブレている。
なんでかっていうと、「いま、できないこと」は「いま、やりたいこと」じゃないから。
たしかに、「やりたいこと」のために、今がんばるという生き方もあります。
やりたくないことを頑張った「ごほうび」として「やりたいことをやる」。
そういうあり方もアリです。
むしろ、今まではそんな「アタマの生き方」が普通だったわけです。
けれども、僕が言いたい「やりたいことをやるハラ生き」というのは、「いま、この瞬間から、やりたいことをやる」という意味なのです。
まずガマンして嫌なことをやって、その報酬として「やりたいこと」をやるんじゃない。
「いま、この場で、やりたいことをやる」んです。
これはハッキリいって非常識なのです。
今までの考え方では「ありえない」のです。
そんな非常識な考え方を、今までのフレームで見てしまうと誤解する。
それが「お金がないから出来ない」なんです。
繰り返すけど、「いま、できないこと」は「いま、やりたいこと」じゃないんです。
そして、「いま、やりたいこと」は「いま、できること」のなかにあるんです。
だから「いま、やりたいこと」を「いま、できること」の中から探していくんです。
そうすると、「いま、やりたいこと」をできるから、とても気持ちいい。
たとえば、それは深呼吸をすることだったりします。
目の前の人に「バカヤロー」と言うことかもしれません。
それは、読書することかもしれない。
いずれにせよ「やりたいことをやる」のだから、気持ちいいのです。
それを「中今(なかいま)の快感」と呼びます。
「この瞬間の気持ちよさ」です。
どうも生きるということは、この快感を永遠に続けることらしいのです。
「中今」で「生き」るから、「中イキ」です。
そしてこの「中今の快感」を求め続ける生き方には、「夢」とか「憧れ」とか「理想」とか「目標」というものがありません。
なぜなら、この瞬間に「夢」が生まれ、そしてその瞬間にかなってしまうから。
これで「お金がないから、やりたいことができない」がブレているというのが分かりますか?
エゴがイメージする「やりたいこと」は、不足感から生まれているだけなのです。
何かが足りない。
これこれが不満だ。
こうしないと不安だ。
そんなエゴが生み出した「不」に振り回されている。
そんな自分に気づけますか?
「やりたいことをやる」というのは真理だと思うけど、エゴの視点で見ると、さらに苦しくなっちゃうだけなんだよね。
これは、ハラから観て「やりたいことをやる」っていうことなの。
つまり、エゴの視点から見ると「やりたくないことをやる」になるの。
そこを勘違いしちゃうと、さらに苦しくなっちゃうんだなぁ。
大事なのは「どこから観るか」なんだよ。