自分を振り返るプロセスと、自分を責めるプロセスを分けるとつらくない。
「反省」って大切だと思うんだけど、どうしても「反省」っていう単語には、「自分を責める」ような響きがあるんだよね。
「反省します」っていうときは、自分を振り返るっていうか、むしろ自分を責めてるだけのほうが多い気がする。
けれども本来的に「反省」っていうのは、「ただ、自分を振り返る」っていうことだと思うんだよね。
「ハラ生き」の基礎コンセプトで、「世界は自分で創っている」っていうのがあります。
自分の内的世界が、外的世界に映し出されているだけだと考えるわけです。
そのときにさ、投影されている「像」を変えようとしても、それは滑稽なことです。
「像」じゃなくて、大元の「映写してるほう」をチェックする必要があるわけ。
その意味で、
「自分がどんな”あり方”だったから、こんな状況を生み出したのかな」
と自分の内的世界を見直してみることは大事です。
ただそのときに「自分を責める」必要はないんだよね。
ただただ、「あー、こういうふうに考えたら、こうなったわけね」と淡々と冷静に、自分のあり方を見直せばいい。
だって、誰にでもミスはあるんだもん。
そんなん責めてたらキリないし。
「また、やっちゃった・・・俺はバカだ」とか
「こんなつまらないミスするなんて、ダメね」とか
いろいろ余計が多いねん。
「ほえー、こういうあり方だと、こんな感じの現実世界になるわけね」
くらいで実験結果を分析してればいいんじゃないかなーと思う。
けっきょく「反省」したつもりでも、内面で「自分を責め」たとしたら、けっきょく「自分を責める外的世界」を創りだすだけだからね。
「自分責め」とか「自己否定」は、ほんと心のスキ間のいろんなところに隠れているからね。
そうじすればするほど、出てくるくらい。
そうそうなくならない。
けれども、その「自分責め」っていう汚れを、心の中から落としていくと、現れてくる外的世界も、どんどんキレイになっていくよ。
そのためには「ハラを据える」ことであり「カラダを内側から動かす」ことが大事なんだよね。
自分を責めてるときは「ハラ」が抜け抜けで「腑抜け・腰抜け」の状態になってるからね。
どっしりとハラを据えて、「わたしって素晴らしい」と言えること。
そこを目指したいよね。