「無理に愉しむ」んじゃなくて、「どこか愉しんでる自分がいる」ってことに気づくの。~強さに気づく秘訣~
おぜっきーが、「愉しもう」と書くと、どうしても大変なこと、つらいことも無理くり愉しもうとしちゃう人もいるのね。
でも、おれが言いたいのって、そういうのとはちょっと違って。
「この辛いことも愉しむぞ!」っていうよりは、
「あれ?なんかこのシンドさを愉しんでる俺がおらへん?」って、気づくことなんよね。
ちょっと前にね、友達がすごいシンドそうなときがあって、それで電話したんだよね。
で、話聞いてたら、どう考えてもドMなの。
なんでそれで逃げ出さないのっていうハードな状況なのに、「つらい、つらい」って愚痴こぼしながら、耐えてんのね。
おれ、そんとき、「こいつマジすげー」って本気で尊敬したよ。
おぜっきーだったら3日で辞めてる状況だったから。
けど、そういうときにハラ的に会話していくとさ、
「ああ、このハラ、この状況が好きなんやな」って感じてくる。
それで、「そのいじめみたいなことしてくる上司がおらんと、つまらんのちゃう?」って聞いてみたら、
「う…、たしかに上司がいないと物足りなく俺がいるかも・・・」
だって。
超ドMwwwwww
だから、けっきょく自分でぜんぶ創りだしてたってことなんよね。
んで、ハラは「大満足」してたってわけ。
それを、アタマが否定してた。
「こんな状況なんて、望んでない」って。
まぁ、だいたい現状に不満がある人は99%、このパタンだよね。
ハラが大満足している状況を、アタマが受け入れてないだけ。
もっとハラの声、聴いてみなよ。
だいたいは「望み通り」になってるはずだよ。
「いや、私は、こんな貧乏を望みません」
「こんなパートナーを望みません」
「こんな住まいを望みません」
って、それがアタマの声なんだよ。
なんでって、「否定」が入ってるからね。
「全肯定」の声が聴こえてきたら、それが「ハラの声」です。
つっても、実際に「声」で聞こえるとは限らないけどね。
イメージとか直感とか違和感の場合も多いし。
まぁ、言語化能力の高い人の場合に、「声」になるんじゃないかな。
いずれにせよ、どんなにつらい状況でも「どこか愉しんでる自分」がいたりするものなんだよ。
それは、たとえば不謹慎なことだったりする。
不道徳なことだったりする。
「アタマでは悲しんだほうがいい状況」だったりする。
けど、そんなときほどハラは喜んでるものなんだ。
それに気づいちゃうと、「腐れ外道」になりそうなんだけど、人は誰しも「腐れ外道」な一面を持ってるんだ。
それに気づかないで、「ないことにしている」のが、ほんとの外道だよね。
だって、あるんだもん。
根っこは非道いんだもん。
でも、ヒドいのは強いんだよ。
自分にも相手にも強さをみとめるから、ヒドくなれるんだよ。
それを見せかけの優しさで、ごまかすのは相手をバカにしてるんだよ。
いよいよ、あなたの中の「腐れ外道」を目覚めさせるときが来たよ。
どんなつらい状況でも、「これヤバいぜ」って愉しんでる自分に気づいちゃうんだよ?
さぁ、今こそハラの声に耳を傾けてみよう。
「この状況がたまんない~」
「激烈にサイコー!」
「ピンチほど燃える~」
きっと、あなたのハラの奥から、そんな声が聴こえてくるはずだよ。
それじゃあね。
あでぃおーす♪