「家族と過ごす幸せ」とかって、「アタマの喜び」だって知ってた?
なんとなく、そう、ほんとになんとなく、何の証明も検証もなく、「家族との幸せ」は普遍的なもの、みたいに言われている。
センターマッスルを活性化して、ハラ的な価値観に目覚めてくると、「家族と過ごす幸せ」も、実は「アタマの幸せ」だと分かる。
なんでかって、「なくなったら悲しい」から。
家族と遊ぶ時間というのは、とても幸せです。
けれども、それはアタマが創りだした幻想なんです。
で、「だから、家族なんてどうでもいい」って言ってるわけじゃなくて、アタマのおかげで「家族と過ごす時間」を幸せに感じられてよかったね、ってことなんです。
だから、アタマの価値観も大事なのよね。
ハラしかなかったら、「家族?だから何?それ美味しいの?」ってなっちゃう。
とにかくアタマ的な価値観には、まったく興味がなく「どうでもいい」のがハラの価値観だから。
残酷なもんだよねwww
だから、アタマの喜びを求めてもいい。
けれども、アタマの喜びはあくまで副産物。
ハラの喜びの結果として、アタマの喜びというオマケがついてくる。
ここの主従関係をハッキリしないと、ハラとアタマが仲良くならないのよね。
犬をペットとして飼うときは、主従関係がしっかりしているでしょう?
だからこそ、仲良くできる。
そして、ペットがいる幸せも感じる。
けれども、ペットの犬が「お犬さま」になったら、それはおかしくなっちゃう。
自分の子供がお腹を空かせて泣いているのに、ペット優先。
犬のいうことに、絶対服従。
犬に家を荒らされ放題。
それじゃあ、おかしくなってしまう。
やっぱり人間と犬の主従関係があったうえで、「仲良く」ということが成立する。
だから、何がアタマ喜びで、何がハラの喜びなのかっていうことを、ちゃんと分かっていたほうがいいと思うな。