「ここにいてもいい」っていう感覚を創るハラの技法
ビジネスをやるにしろやらないにしろ、もっとも大切なのは
「ここにいてもいい」
っていう感覚だと思います。
これがないと、何をしてもツライ。
成果を出しても、どこか苦しい。
やってもやっても足りない気がする。
そういう不足感、不全感に悩まされることになります。
そして、不足感・不全感を消そうとして、がんばって、さらに不足感と不全感を強めていく。
そういう場合は、行動に目を向けるのではなく、感情や身体感覚に目を向ける必要があります。
「ここにいてもいい」
っていう感覚は、カラダでいうと脱力です。
「ここにいちゃいけない気がする」というのは100%誤解です。
もし、本当に「ここにいちゃいけない」のなら、すぐに神さまに消されます。
けれども今、「ここにいる」ということは「ここにいてもいい」ということなのです。
ただ、それは文章で言っても、ふつうは腑に落ちない。
カラダで「ここにいてもいいんだ」ということが体感でき、腑に落ちないと、心の奥から落ち着くことはできない。
「ここにいちゃいけない気がする」
という誤解で苦しむとき、ぼくらの意識はかならず上に上がっている。
意識が上にあがればあがるほど、リラックスできない。
つまり「あがる」ということ。
意識が下にあれば「落ち着く」。
そしてハラが据わり、リラックスできる。
「ここにいちゃいけない気がする」はイコール「何かしなきゃいけない気がする」であり「役に立たないといけない気がする」です。
どうやって、その感覚をなくしていくのか。
まずは「その感覚があってもいい」ですね。
「ここにいちゃいけないと思ってもいい」
「何かしなきゃいけないと思ってもいい」
「役に立たないといけない気がすると思ってもいい」
と肯定します。
自己犠牲は自己犠牲で、美しかったりするのよね。
なんか泣けるしね。
本人はつらいかもしれんけど、そこにはドラマがあるんだよね。
だから全然いい。
けれども、その思いを手放してもいい。
「なんの役にも立たずに、迷惑ばかりかけて、要らないような人間だけど、堂々と生きてもいい」
そんな思いを持ってもいい。
もしかしたら、あなたは、そんなフレーズにすごい抵抗を感じるかもしれない。
「ダメ、こんな役に立たない自分がいるなんて…」
「こんな使えない自分なんて消えてしまえばいい」
「迷惑ばかりかけて… なんて最低なワタシ…」
そんな反論ばかりが出てくるかもしれない。
けれども、ぼくは言い続ける。
「あなたはここにいてもいい」
と。
さぁ、充分に抵抗感を感じてみよう。
自分という存在があることの苦しさを、存分に堪能してみよう
こんな恥さらしな自分が生きていることのもどかしさを味わってみよう。
そして、その苦しさを感じたままで、眉間の力を抜いてみよう。
肩の力を抜いてみよう。
ゆっくりと呼吸してみよう。
いま、力を抜くのは怖いよね。
どこかに落ちてしまいそうで、そして自分を認めてしまいそうで、怖いよね。
けれども、その怖さを感じたうえで、全身の力をできるだけ抜いていく。
そして「意識」をハラに置いてみよう。
そのためにおヘソのあたりに手を置いてみよう。
おヘソで呼吸してみよう。
そして、そのままで繰り返してみる。
「こんなダメなわたしだからこそいい」
「迷惑かけてばかりで最高!ひゃっほう!」
「役立たずでいい」
と。
そしたら、きっとだんだんとリラックスして、ハラが据わってくるはずだよ。