「ハラ生き道」

「からだの軸」が整えば、「じぶんの本質」につながれる。

「オトナの論理」を捨てていくことで、ココロもカラダも楽になっていくよ。

「礼儀が大切です!」

 

って怒ってる人って、「大切にしてもらいたい人」なんだと思う。

 

 

「大切にしてほしかったのに!」って怒ると、なんかダダこねてるみたいだから、ちょっと言い換えて

 

「礼儀が大切なのです。なぜなら~」って説明しちゃう。

 

 

まー、それがその人なりの感情消化のやり方だから、それはそれでいいんだけどね。

 

 

 

おぜっきーは、FBの友達って、99%承認してるの。

 

 

明らかに、変なやつ以外は何も考えずに承認。

 

メッセージなんかも要らない。

 

むしろ形式的なメッセージだったら、ないほうがいい。

 

読むのが面倒だから。

 

「ブログの〇〇に共感しました~」とかなら嬉しいけど。

 

 

だから「FBの友達申請は、かならずメッセージを添えてください。ネット上とはいえ、それが人と人の礼儀でしょ?」っていうのも見かけるけど、ぼくはそう思ってないんです。

 

 

言い方悪いけど、「たかがFB」なんだから、友達承認くらい気軽にすればいいやんっていうのが、おぜっきーの考え。

 

 

おぜっきーはね、もともと超がつくほどのドマジメだから、もっともっとラクになりたいと思ってるんだ。

 

 

ほんとにマジメでね。

 

 

学生のころ居酒屋でバイトしてたんだけど、敬語でしゃべろうとしすぎてガチガチになって、注文を取るのもやっとだったわけ。

 

 

「礼儀ただしくないと怒られちゃう」

 

「しっかり敬語を使えないと社会人じゃない」

 

「お金をもらう以上、きちんとしないと」

 

 

って、逆に固くなりすぎてパフォーマンス低下してたわけ。

 

 

だから、ほんとうに「使えないバイト」だったのよ。

 

 

まー、それって自分に厳しくして、オトナの論理を自分に押し付けてたんだよね。

 

それがあまりに当たり前で、苦しいとすら感じてなかった。

 

 

 

妻の兄弟に初めて会ったときも、

 

「はじめてのあいさつはこういうもの」

 

「こういう場では、こんな感じでいる」

 

っていう形式が気になりすぎて、マトモに話せなかったのを覚えてる。

 

 

妻の兄弟は、そんなこと気にする人じゃないのにね。

 

礼儀正しくあろうとすることで、逆に「決まったコミュニケーションのやり方」を押し付けていたんでございますよ。

 

 

だからね、今はそういう「面倒くさいこと」をなるべくしないようにしてる。

 

 

「いいんじゃない?」

 

 

を口癖にして。

 

 

けっきょく、そのほうがエネルギーが回るんだよね。

 

みんなのためになる。

 

 

「オトナの論理」は、オトナがコドモを管理するために作ったもの。

 

 

それがさ、「常識」とか「当たり前」とか「礼儀」とか、見栄えのいいカタチになっちゃって、人々を苦しめてる。

 

 

そういう縛りから自分を解放しつつ、そんなラクなあり方が広まったらいいなって思ってます。