「ハラ生き道」

「からだの軸」が整えば、「じぶんの本質」につながれる。

自分は「変える」ものじゃない、肯定した結果、勝手に「変わる」ものなんだ。

「自分を変えたい!」という本気の意気込みをすればするほど、「自分」は変わるまいと抵抗する。

 

なぜなら、その「変えたい!」には否定しかないから。

 

 

「こんなダメな自分から脱却したい」

 

「もっと〇〇な人になりたい」

 

「××さんみたいになりたい」

 

 

残念ながら無理です。

 

 

「ダメな自分から脱却」という前提でスタートする以上、ダメなものはダメです。

 

 

 

じゃぁ、潜在意識を書き換えて「私は素晴らしい」を刷り込んでいくのか?

 

 

 

それも違う。

 

 

 

そーじゃなくて、ただ「ダメな自分だからいい」とOKを出すだけ。

 

 

だってダメなものはダメなんだもん。

 

 

できないものはできないんだもん。

 

 

仕方ないじゃん。

 

 

 

人生短いのに、できないことをがんばってできるようになって、なにか美味しいの?

 

 

いーじゃん、「できること」すれば。

 

 

「できないこと」に目を向けて落ち込んでるのって、「できること」をやらない言い訳なんじゃないかなぁ。

 

 

 

「えー、でも会社から、〇〇をやれって言われて、それができないとダメなんです…。前任の先輩はできたから…」

 

っていうこともあると思うんだけど、いやね「できない」のは分かるけど、別にヘコむ必要ないやんって。

 

 

淡々と「これは無理だなぁ。はて、どうするか?」って作戦を練ればいいわけじゃん?

 

 

「誰に、どう頼んでいくか」ってことを、淡々と考えればいいわけですよ。

 

 

落ち込むぶんだけ、エネルギーが横にそれるからムダに消耗しちゃうんですよ。

 

 

「上司もアホやなぁ。わたし無能だから頼んでもできないのにねっ。www」

 

 

って構えていればいいんじゃないかな。

 

 

 

とにかくね、「自分を変えたい」には落とし穴がいっぱいなの。

 

 

そもそも、本当に「変えたい」と思ったら、「自分を変えたいんです」って言ってる数秒の間に変わるんですよ。

 

 

出されたケーキを目の前にして、「ケーキが食べたいんです」ってグズグズする人っていないじゃないですか。

 

「いや、早く食べろよ」ってwwww

 

 

 

それと同じで、「自分を変えたいです」っていうのも「いや、じゃぁ変われよwww」って話なんです。

 

 

でも「変えられない」「変われない」「そんなに簡単じゃない」って。

 

 

それは、「変えたい」じゃなくて「変わらなきゃ」っていう義務感があるからなんですよ。

 

 

で、やっぱりその根底には否定がある。

 

 

その否定に気づくことです。

 

「変わらなきゃ」の奥には、「このままじゃダメだ」という否定があるんだと。

 

 

そこを許していく。

 

認めていく。

 

肯定していく。

 

 

そしたらね、自分が拡がっていくんです。

 

 

「いいやん、いいやん、このままでいいやん」って。

 

 

で、その結果、変わっちゃうこともあるんです。

 

 

 

「肯定」っていうのは、思った以上に面白いもんですよ。

 

 

よかったら、やってみてくださいね。