あなたというキャラクターは、そのままで完璧。~ダメなままで生きる~
自分のことが好きですか?
自分のことが嫌いですか?
それは、どちらでも構いません。
そんなことは、どうでもいいことです。
ポジティブ思考ですか?
ネガティブ思考ですか?
どちらでも構いません。
どちらも、素晴らしい思考法です。
陰と陽。
プラスとマイナス。
良いと悪い。
両面があるものは、どちらの面も素晴らしいのです。
片方を否定すれば、もう片方をも否定することになります。
片方を受け入れれば、もう片方を受け入れることになります。
受け入れるというのは、カラダがゆるむことです。
いろいろと、身体で考えるとラクです。
「ストレス」なんかも「身体」という視点で考えると、めっちゃスッキリします。
あなたの身体が「受け入れてないもの」が、あなたを攻撃します。
その攻撃をあなたが受け入れると、身体はストレスや「違和感」を感じなくなります。
だから何に対しても身体が「違和感」を感じないようにすればいいのです。(「好み」は残ります)
そして、カラダがゆるむための最たる考え方は
「自分というキャラクター」
という考え方です。
キャラクターというのは、他と違うからいいのです。
アニメでも映画でも、同じキャラクターは2人はいりません。
それぞれに役割があり、ヒーローはヒーローとして、わき役はわき役として、それぞれ輝いています。
なぜ輝いているかというと欠点があるからです。
完璧じゃないからです。
「できないこと」があるからです。
だから、物語が成立する。
だからシナリオが面白くなる。
だから、ドラマが生まれる。
完璧な人が一人いると、周りの人はとても困ってしまうのです。
その意味で完璧な人は迷惑でもあります。
ということは、完璧であるということは欠点であるということですね。
したがって「完璧な人は欠点を持つ」というおかしなテーゼが成り立ちます。
で、まとめたら「完璧な人なんていない」ってことです。
それは逆にいえば「みんな完璧」ってことです。
だから、あなたが弱いなら弱いまま生きればいいし、
あなたがズルいならズルいまま生きればいいし、
あなたが優しいなら、優しいままに生きればいい。
どんなキャラクターも、この世界というストーリーには必要です。
悪役でさえも必要なのです。
「自分なんか必要ないんだ」と嘆くキャラクターでさえ必要です。
そのままで完璧というのは、そういうことなのです。