「ハラ生き道」

「からだの軸」が整えば、「じぶんの本質」につながれる。

「人気」にフォーカスすると苦しくなる話。~「人気」と「魅力」について

魅力と人気と実力って、ぜんぜん別物なのに、割と同一視されがちな気がする。

 

同一視しちゃうと、選択を誤ったりするので、よーく見極めたほうがいいと思うんだよね。

 

 

たとえば整体院。

 

実力はないけど人気はある、っていうお店はあるの。

 

整体はそんなに上手くないんだけど、説明が上手とか、雰囲気がいいとか、会話が愉しいとかね。

 

 

これは歌手とかでもあるよね。

 

歌手の人気と、歌の実力って関係ゼロじゃないけど、比例はしない。

 

人気はプロモーションのお金のかけ方とか、時代の流れとか、運とかも大きい。

 

 

また魅力と人気も違うもの。

 

魅力というのは、いつでも相対的なものなんだね。

 

Aさんにとって魅力があっても、Bさんにとっては魅力がない、なんてことはよくある話で。

 

 

 

だから、すごい魅力的だけど、「大衆的な人気」はないっていうケースも結構ある。

 

「その業界では有名」みたいな。

 

 

で、もちろん魅力と実力も、あまり関係がない。

 

魅力は実力を超えた総合判断だ。

 

失敗したり、ダメダメだったり、カッコ悪かったり。

 

そういうものを丸ごと含んでいる。

 

 

 

じゃぁ、そういった丸ごとの人間性が出れば、人気は出るのか?

 

といったら、そうじゃない。

 

魅力的でも「人気」に、即つながるとは限らない。

 

 

 

たとえば「実力」も「魅力」もある郷ひろみが、現在のオリコンチャートで1位を取る「人気」があるかというと、ちょっと難しい気がする。

 

人気に関しては、ぼくが知る限り「嵐」と「AKB」が強くて。

 

それはプロモーションとか、時代の流れが強く関係している。

 

 

人気というのは、いつでも「水物」だ。

 

「あぶく」のような性質があって、ぶわっと膨らむこともあれば、シュッと一瞬でしぼむこともある。

 

だから、ここを求めると、ぼくらはとっても苦しくなってしまう。

 

「人気」にフォーカスすると、ぼくらの「からだの軸」はブレてしまう。

 

それは他人依存の「他人軸」になってしまうからだ。

 

 

だから、たとえば個人事業なんかをやっているときでも意識すべきは、「人気」ではなくて「魅力」と「実力」なんだ。

 

 

商品が「じぶん自身」の場合は、「魅力」を意識する。

 

商品が「コンテンツ」の場合は、「実力」を意識する。

 

 

たとえば飲食店で、「ご飯がバツグンに旨い」のもあり「オーナーのお話がバツグンに面白い」でもいい。

 

 

「魅力」と「実力」は、相補関係にあるので、

 

たとえば、ご飯(コンテンツ)が二流でも、オーナーの魅力が一流であれば、ご飯も一流に感じてしまったりする。

 

 

逆に、性格(魅力)は頑固で朴訥、会話が苦手でも、ご飯(コンテンツ)がバツグンに旨いと「寡黙だけど、職人気質でいい人」という評価になる。

 

 

そしてハラ生き道というのは、「人気」「実力」「魅力」で言うと、

 

「魅力を高める」

 

という側面がもっとも強い。

 

 

「ハラで生きれば人気が出ますか?」と言われても、それは分からない。

 

というか「人気が出ますか?」と聞いている時点で「ハラ生き」じゃないし、「じぶんの中心」からブレてしまっている。

 

 

「ハラで生きれば実力が高まりますか?」

 

これは、その場合もあるし、そうじゃない場合もある。

 

ハラで表現することは「上手」など技術的な側面を上達させるものじゃない。

 

それよりも、もっと内側にある「ひびき」を変化させる。

 

うまく言葉にしづらい「ひびき」や「バイブレーション」、そういうところの変化をもたらす。

 

 

つまり、「魅力」が高まるということなんだ。

 

 

下手だけど、伝わる。

 

拙いけれども、どこか心を打つ。

 

 

そういう「子どもころに持っていた力」を、もう一度、使っていこうということ。

 

 

自分らしさ。

 

「70億分の1」という価値。

 

誰にも真似できない「存在」の尊さと美しさ。

 

 

そういう「振動」を表現していこうということなんです。

 

 

誰もが宇宙の「一側面」であり「ひとつの表現」なんだ。

 

 

 それを自由に表していくことが、ぼくらの「究極の幸せ」なんだよね。

 

 

ハラ生き道では、そういうことを提唱しています。