「ハラ生き道」

「からだの軸」が整えば、「じぶんの本質」につながれる。

シャバは10倍厳しい話 ~真理を語るべからず~

最近、気になっているのは「真理」と「現場」のお話し。

 

これは「抽象」と「具体」と言ってもいい。

 

「基本」と「応用」とも言えるのかな。

 

「理想」と「現実」なんて言い方もできるかもしれない。

 

 

この両輪が大事だと思うんだけどね、ぼく個人はわりと「理想主義者」なわけです。

 

でもね、人間というのは「理想」に偏ると弱くなる。

 

「現場」を忘れ、理想と真理に傾倒すると、どうしてもおかしくなる。

 

 

なぜなら「真理」というのは、この世には体現されないからです。

 

たとえば合気道でキレイに美しく敵を投げる人でも、試合やケンカになったら、あんなにキレイには投げられない。

 

実践になったら達人だって泥臭くなってしまう。

 

 

そう、現場はいつでも泥臭い。

 

整体やってみても、学校で習ったのとは全然ちがう人がくる。

 

「こういう症状はこう対応せよ」というセオリーがあるのに、通用しない人のほうが多いくらい。

 

 

卓球でもラリーを練習させると上手いが、試合は弱いなんて人もいる。

 

 

言語学でいうと「ラング」と「パロール」と言いますがね。

 

「私の名前は尾関です。私の趣味は合気道です」

 

みたいに【法則の通りに】しゃべる人っていないじゃん?

 

「どうも、尾関ですー。あ、はい。合気道やってるんす」

 

みたいになるでしょ。

 

つまり「理想の言語」だけを知っていても、「現場」では使えない。

 

 

 

ぼくらが考えた「法則」のようなものは、いともたやすく破られるのです。

 

「〇〇は××だ」

 

「△△は□□すればいい」

 

どれだけ自信満々に大家の先生が語ったとて、その例外、つまり反例はすぐに見つかります。

 

ってことは、その法則は「間違い」ってことになります。

 

 

だから「ただしい法則」なんてどこにもない。

 

みんな「間違ってて」、逆に「その個人においては正解」だったりする。

 

 

でもね、人って一人一人違うじゃん?

 

だから「こういう法則になってるよ!」「真理はこれだよ」っていう言い方で伝えるのは、ある意味で詐欺だと思うんだよね。

 

だから「法則を伝える」んじゃなくて、ぼくらにできるのは「提案」だけだと思うんだよ。

 

 

「こういうのもあるけどね」

 

「こんなんもありだと思うよ」

 

 

あとは経験談。

 

「あなたに通じるかは分からないけど、俺はこうしたらラクになったよ」

 

「これこれこうやって切り抜けた人がいるようだよ、知らんけど」

 

 

 

けっきょく、答えってじぶんで見つけるしかなくて。

 

 

でも「理想」や「真理」に偏ると、どこかに「正解」を探してしまったりして。

 

それを誰かに聞きたくなったりして。

 

でも、じぶんの「外」に答えを求めるかぎりは苦しみが続くんだよね。

 

 

 

おれは、「ハラ塾」でよく言うんだよ。

 

「この<守られている>場でできるのは当たり前です。でもシャバは、ここの10倍は厳しいですから」と。

 

 

学校の優等生が、社会に出て活躍するとは限らないのは「真理」と「現場」の違いだよね。

 

 

それで「真理」に詳しい人が「現場」を批判して

 

「理想はこうなのだ!」

 

と憤っても仕方ないんだよね。

 

まぁ、「分かった気」になって憤っていたのは俺だけどねwww

 

20歳くらいのときは社会に出てないから「理想通りじゃない社会」に対して文句を言っていたなー(遠い目)

 

 

まぁ、いずれにせよ「現場」なんだよね。

 

泥臭い現場。

 

そこから逃げたら真理も何もないね。

 

 

セミナー会場に「真理」はないよ。

 

語られる真理は、いつもニセモノだ。

 

 

ということをご提案いたします(笑)