「ハラ生き道」

「からだの軸」が整えば、「じぶんの本質」につながれる。

仕事するのに癒されてるとか癒されてないとか関係ない話。

こないだセッションをしていて。

 

その方もヒーラーさんなんだけれども。

 

「私の感情のホニャララを処理したので、次はクライアントさんを…」

 

というお話しがあったので、ぼくは「ちょっと待った」を出しました。

 

 

「いやいや、感情の処理なんて終わってないでしょうよ。なぜなら…」と。

 

そしたら、とても素直なクライアントさんなので、

 

「あ、そうですわ。ぜんぜん終わってないですわ」

 

と気づいてくださって。

 

ぼくは言うのです。

 

「なんで癒され切らないと、誰かを癒しちゃいけないんですか」と。

 

 

 

なぜかカウンセリングというか、ヒーリングとかそういう業界では

 

「癒されてないやつがヒーリングなんかするんじゃねぇ」とか

 

「セッションする人にブロックがあってはいけない」とか

 

「自己愛も分からずに他人を愛せるはずがない」とか

 

不思議な「思い込み」が散見されるんですよね。

 

 

ぼくからしたら、それが「ブロック」なんですがね。

 

 

そもそも「完璧な人間」なんていないでしょう。

 

みんな、なにかしら抱えてる。

 

で、そういう人が仕事をしているわけです。

 

誰もがブロックまみれ。

 

ブロックまみれの人が、ブロックまみれの人をセッションするわけです。

 

それでもちゃんと効果が出るわけです。

 

そこに何の問題があるのかと。

 

 

別に心臓に異常を持つ心臓外科医が、心臓の手術をしたっていいわけですよ。

 

パンが嫌いでも、美味しいパンを焼くことができればいいのですよ。

 

仕事なんだから。

 

そこに「癒されてる」とか「癒されてない」とか関係ないのですね。

 

 

天才治療家の野口晴哉だって、「整体施術のとき以外に心が休まることなんてない」って言ってますしね。

 

 

みんな、抱えてるんですよ。

 

それを「抱えたままいくしかねぇな」っていう覚悟が、「手放す」なんじゃないかな。

 

 

じぶんのことは占えない占い師さんでいいんですよね。

 

じぶんのことはプロデュースできないプロデューサーでいいんですよね。

 

 

逆に

 

「わたしは出来ているので、出来ていないあなたにお伝えします」とか

 

「わたしは強者なので、弱者のあなたに寄り添います」とか

 

「わたしはブロックがないので、あなたのブロックを取ってあげます」

 

みたいなほうが、よっぽど欺瞞だと思う。

 

 

まぁ、それも「アリ」なんだけど、ぼくは好まない。

 

 

ぼくが好きなスタンスは

 

「ぼくも出来てないけど、一緒に進んでいこうね」

 

っていう感じ。

 

 

それで「あなた、できてないじゃないですか!」って怒るような人は離れていってほしい。

 

「そっか、おぜっきーもできてないなら安心した♪」

 

っていう人が残ってくれればいい。

 

 

そして、ぼく自身も「有名な人」に立派さなんかは求めない。

 

どうせ不倫してたり、ナルシストだったり、エロかったり、ズルかったり、サボり症なんだろうーなーっと思ってみてる。

 

ほんで、だいたい当たってる(笑)

 

 

お互い人間なんだから、あんまり過度な期待をしたら苦しいよね。

 

それに無理くり

 

「じぶんは癒された!」

 

「じぶんは変わった!」

 

「じぶんは〇〇になってる」

 

「ダメダメ人間から、ステキな人間になった」

 

って思い込んだら、そうじゃないとき苦しいじゃん?

 

 

それよりも

 

「ぜんぜんダメだなー。あはははー」

 

くらいのほうがみんなラクだと思うんだよ。

 

 

ふつうにバカにされたらムカついてさ、嫌なことあったら落ち込んでさ、たまにすげードジしてみたり、好きな人に会ってドキドキしてみたりしてさ。

 

 

なんかそういう未熟さが、人間の素敵さだと思うんだよね。

 

おらぁ、そういう世界に生きたいなぁと思っているよ♪