ハラ生き道ができるまで その1 ~ナイーブなおぜっきー~
ぼくは、とっても緊張度の強い子どもだった。
小学校1年生の集合写真でも、「マジメに撮られねば」と胸を張り、口を一文字に結んでいた。
そして、心身相関がわりと強く、午後にサッカー部の試合があると、昼食はチャーハン3粒しか食べられなかった。
それから給食が大の苦手。
もはやこれは心理的症状で、4時間目の終わりになり、給食の匂いがしてくると、ギュッと食道が縮まる感じがした。
それ以外にも修学旅行では夜、寝られない。
家族旅行でもクルマでは寝られないとようなナイーブさを持ち合わせていた。
それに比してお勉強は得意で、小学校では6年間、学級委員を務めた。
ぼくは、「勉強が得意なキャラ」であり、同級生に算数などを教えてあげることがよくあった。
小学校では割とリーダー的な存在だったと思うが、中学に入り、やんちゃな友人が増えてくると、緊張度の強かったぼくはリーダーシップを失った。
かわりに「わんぱくな」少年たちが台頭していった。
ただ、「わんぱくさ」を要求されない卓球部では、なんとかその地位を保っていて、副キャプテンとして市内で団体優勝を果たしたり、個人で入賞したりして、いちおうの活躍を見せた。
部活以外では将棋やプラモデルにハマるというオタク気質で、それは今でも変わっていない。
高校はそれなりの進学校に入学。すこしレベルを落として推薦受験したため、そこでも「アタマのよいキャラ」を保っていた。
そのうちに要らないプライドが醸成されていったと思う。
ナイーブさが発揮されたのは高2のときだった。
ハッキリとしたストレスを抱えていたわけではないものの、なぜかご飯が食べられなくなり
「これは精神科にいったほうがいいのではないか」
と悩んだのを覚えている。
この症状は、何のおかげか幸いにも解消し、高校生活に支障をきたすことはなかった。
それから童貞のまま高校を卒業し、大学に入った。
大学ではぼくより偏差値の高いやつが多く、「アタマのよいキャラ」を返上せねばなりませんでした。
そこでアイデンティティを保つために「ヤンキー」になろうと思い、金髪にしてみました。
成人式の日には、さらに目立とうと銀色にしてみました。
よく高校の同級生からは「大学デビュー」と言われたものです。
しかし、結局は見た目が垢ぬけただけで、中身はマジメなままでした。
大学1年ではじめた居酒屋のアルバイトでは、緊張で固くなりすぎて「まったく使えないバイト」でした。
電話で宴会の予約を受けるときなど
「敬語を間違えないように使わなければっ」
と考えすぎて過呼吸になっていました(笑)
とにかく緊張度の高い10代でした。
それも自分では気づいていないままに・・・
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