「ハラ生き道」

「からだの軸」が整えば、「じぶんの本質」につながれる。

「うまくやるのが恥ずかしい」という思いを乗り越える。

本気出すのって、なんか恥ずかしいんだよね。 

 

なんか

 

「初心者は初心者風に振る舞わないといけない」

 

みたいな思い込って面白いと思う。 

 

 

たとえば、ぼくが水墨画をやりはじめたとき、はじめてお手本を見ながら書いてみるとき、とても恥ずかしかった。 

 

ずっとやりたかったんだけど、 

 

「水墨画なんかやっちゃってる自分」 

 

を認められないというか、気恥ずかしいというか、ソワソワした。 

 

 

しかも不思議なことに、 

 

「ちょっと下手な感じで描かなきゃ」  

 

みたいな思いがあった。 

  

 

それはまるで、英語の授業で本気で発音したらいけなくて、あくまで「カタカナで」発音しなきゃいけないような思いに似ていた。 

 

 

たぶん僕らが、いちばん恥ずかしいのは、 

 

「本気出して失敗する」  

 

ことなんだと思う。

 

 

 

本気でおしゃれしてダサいと言われる。 

 

本気で集客したのに誰も来ない。 

 

本気で好きになったのに失恋する。  

 

 

これが何にも増して怖いことだと思うんだよ。

 

 

それで、この怖さって何なのかを考えてみると、 

 

「本気出してないやつから笑われる」 

 

っていう怖さなんだよね。

 

 

いつだって他人のことを嗤うのは、本気出してないやつだ。 

 

本気出してる人は、けして本気出す人を馬鹿にしたりしない。 

 

ってことはだよ? 

 

本気出したあなたを嗤ってくるやつは、「本気も出せない大したことない奴」ってことなわけだ。 

 

ってことは相手にする必要ないってことになるわけ。

 

だから、 

 

「下手を演じなきゃいけない」とか 

 

「うまくやるのが恥ずかしい」とか 

 

「初心者風にしなきゃいけない」 

 

ってのは、ぜんぶ幻想ってわけですよ。 

 

 

だから本気出しちゃっていいんだよね。 

 

「じぶんには幸せは似つかわしくない」とか 

 

「そんなキャラじゃない」とか 

 

他人の目を気にしなくていいから本気で幸せになっちゃっていいんだと思うんだよ。 

 

そんで着たい服を着てさ、言いたいことを言ってさ、じぶんらしい、自然体の生き方しちゃっていいと思うんだよ。

 

そりゃ、はじめはソワソワすると思うけどね。

 

すぐに慣れるしね。 

 

で、そもそも「笑われる」ってのは、幻想で。 

 

 

たとえば、俺だって本気でセミナーに集客して、誰も来なかったことあるよ。 

 

そんなんしれっと、ブログを消して「なかったこと」にしたよwwww

 

だから大丈夫なんだよね。 

 

とりあえずやっちゃえばいいんだよね、本気でさ。 

 

おれはそう思うんだよ。