「動き」を堪能する。~「重力にまかせる」といふこと~
最近は「動く」ということの「味わい」を堪能している。
そう「動く」ということは、ただそれだけで、気持ちのよいことなのです。
目的などなくていい。
「ただ、動く」
ということ。
そこに、とんでもない豊かさと滋味があることに気が付いた。
たとえば一杯のコーヒーに手を伸ばす、その動きに。
たとえば、カップを持った手を口へ運ぶ、その動きに。
集中すればするほど、時間は長くなり、そこに「美しさ」が流れ出す。
「さっき」も「次」も、ない。
ただ、「この瞬間」だけが連続していく。
ただし、その美しさを堪能するには「ある条件」があって、それが
「力が抜けていること」
なんだ。
リラックスしていないと、「ただ動く」ということの気持ちよさを感じることができない。
なぜなら、目的なく動くときの気持ちよさは、とても微かなものだからだ。
けれども、それは集中すればするほど、増えてくる。
大きく感じられてくる。
「次」という幻想を忘れ、「いま」に集中する。
その喜び。
そうか、「動く」ことが美しければ、ただ「息をする」ということも喜ばしく、そして、「ただ在る」ことも愉しいんだ。
ぼくは、たまに動物や虫に対して
「なんで生きているのかな」
と感じることがあった。
生きる意味とか意義を、動物たちは持っているのか。
蚊クラスになると、何がなんだか分からないんじゃないか、なんて考えていたんだけど、違うな。
きっと、彼らも「ただ在る」こと、呼吸すること、動くことを充分に愉しんでいるんだ。
「動く」というのは、「重力」にまかせること。
それを、漢字が雄弁に物語っている。
筋力をふるっては、この「重力」の喜びは感じられない。
手放して手放して手放して、最後に残るのが、この「重力」にまかせる喜びなんだ。
ハラ生き道というのは、そういうことを体験していく道です