「いま」を生きることと、丹田の共通点について。
こないだ、面白いことに気がついたのよ。
たとえば、現在・過去・未来を、こんなふうに認識したりするじゃん?
けどさ、これっておかしくて。
実際は、こうなんだよね。
だから、実際には「いま」は「ない」。
「今はどこにあるんだー?」
と探すと…
こうなっちゃう。
でも、「ここ」に「ある」
まあ、胸の谷間みたいなもんですな。
ほんでね、ハラ生き道で養っていく「ハラと軸」ですがね、それも「あってないようなもの」なんです。
つまり、こう。
こうじゃないの。
こう、ガッシリと「ある」ものじゃない。
「スキマ」というか、「間」というか、まあ
胸の谷間みたいなもんですな。
どこにある?と探し始めるとない。
でも体感として「ある」のは、こういうこと。
つまり、からだを分割していくと、からだをゆるめていくと、「ハラと軸」が体感できるわけです。
で、それは「スキマ」だから、何もなくて、だからこそ宇宙へつながるブラックホールのような役割を果たすのです。
そこに意識を置くことにより、「いま」に生きることができる。
これはとっても不思議で、面白い現象なのです。
体感としては「ある」、けれど刮目して調べるとない。
まるで…
愛のようなもんですな。
そこ谷間ちゃうんかーーーい!
おあとがよろしいようで。