なぜ、「やりたいこと」をやっているはずが、いつのまにか「義務」に変わってしまうのか。
ふとしたことで誰かが喜んでくれて、それが嬉しくて、つい「もっともっと」ってなって。
そうしていつしか「もっと喜ばせなきゃ」って必死になってしまって。
気が付けば疲れて「もう何もしたくない」みたいになってしまう。
そんな人って多いんじゃないかな。
「やりたいこと」って、容易く「やらなきゃいけないこと」に変わっちゃうんだよね。
でね、そうなっちゃう理由ってのは
「欲張り」
なの。
「もっともっと」って思う気持ち。
ハラが抜けると「もっともっと」っていう気持ちが大きくなる。
それは「満たされない」から。
ヒトはハラが満たされないと、どこまでいっても満足できない。
「足るを知る」ことがなくなり、感謝もなくなり、「もっともっと」と求める。
たとえば、他人の笑顔を求める。
たとえば、お金を求める。
たとえば、理想の未来を求める。
そういうときに、ぼくらの「やりたいこと」は「義務」に変わってしまう。
愉しくてブログを書いていたはずが、「もっとお客さんに来てほしい」と思うから義務になってしまう。
愉しくて誰かを喜ばせていたはずが、「喜ばせないと嫌われちゃうんじゃないか」っていう不安が大きくなっちゃう。
愉しく過ごしていたはずが「理想の未来」を観た瞬間に、「やるべきこと」が増えてくる。
それは全部「欲張り」のせいなんだ。
もちろん、「欲」を持つのはまったく悪いことじゃない。
むしろ「欲」がなきゃ面白くない。
けれど、もしその「欲」に振り回され、苦しめられているのなら、いったん手放してみてもいいんじゃないかと思うんだよ。
そして
「いま、この瞬間にやりたいことはなんだろう」
って自問してみるんだ。
将来のことも考えずに、他人のことも考えずに、損得も考えずに、ふっと力を抜いて、ぱっと出てくる思いにそって行動する。
いや、「思い」すらないままに、考えずに行動してしまう。
だから「かるい」「かろやかな」行動になるんだよね。
「いま」をおろそかにしたら、将来もクソもない。
将来のために「今」を犠牲にするのなら、きっとそれは生涯続いてしまう。
だから「いま、やりたいこと」を身体で感じるんだ。
そのためには、ふっと力を抜く。
ふっと肩の力が抜けたとき、ぼくらの身体はオートマチックで動き出す。
それにまかせてみるのも、一興じゃないかな