「ハラ生き道」

「からだの軸」が整えば、「じぶんの本質」につながれる。

「愉しく」と言われても、「たのしさ」が分からないときは。~あなたはパリピ?コモピ?~

「愉しめばいいんだよ」

 

その一言が苦痛になることがある。

 

これまで自分を抑え込んできた人は「愉しめばいい」と言われても困るだけだ。

 

 

「愉しめって言われても、そもそも愉しさが分からない」

 

「たのしいって、なんだっけ?」

 

みたいになり、

 

「愉しいことを見つけるのが苦痛」

 

という本末転倒なことになってしまう。

 

 

今日はそんなときにちょっと「たのしさ」を見つけやすくなる話を書いてみようと思う。

 

まず、人間には「解放系」と「集中系」があるのです。

 

 

たとえば「解放系」の人は、お祭りやカーニバルが好きなのです。

 

はっちゃけたい。

 

非日常が好き。

 

ゆるみたい。

 

適当にやりたい。

 

そういう特徴があります。パリピです。

 

 

それに対して「集中系」の人は、ギュッと固まるのが好きなのです。

 

マンガやゲーム、手仕事、写経、糸かけ曼荼羅etc.に集中したい。

 

ぎゅーーっと凝縮してブログを書きたい。

 

日常が好き。

 

完璧にやりたい。

 

そういう特徴があります。こもピです。(引きこもりピープルのこと)

 

 

それで面白いことに、両者とも自分の方向性にあったことをやると、ゆるんでくるのです。

 

つまり解放系も集中系も、けっきょくは「ゆるみ」に向かうのですが、スタートの方向性が違うのです。

 

 

解放系は、はじめからゆるむ方向。

 

集中系は、いったん凝縮してからゆるむ。

 

 

これは整体などの手技でもあるのです。

 

はじめからゆるませていく技法と、はじめ力を集めさせてから抜く方法がある。

 

ズレを直す手法もあるし、ズレを誇張してさらにズラすことで修正する方法もある。

 

どっちでもよいのです。

 

 

 

それで、上に書いた苦しくなるときというのは、だいたい解放系の人が集中系の人に言うのです。

 

「そんなに完璧にやらなくても」

 

「もっと楽にやりなよ」

 

「愉しめばいいのに」

 

と。

 

 

これは解放系の人が解放されきってないときに起こる。

 

解放系の人が、解放されているときは他人のことなど気にならない。

 

それが、他人を気にかけておせっかいをするという時点で、「詰まっている」ということなのです。

 

 

で、集中系の人が集中しきってないと、そういうアドバイスを真に受けてしまう。

 

 

「あれ、おれって愉しんでないのかな?」

 

「もっとふざけて、お祭りさわぎみたいにしたほうがいいのかな?」

 

「もっとゆるまなきゃ、ゆるまなきゃ」

 

 

そうやって固まってしまう。

 

集中する方向へのエネルギーが止まってしまって、固まってしまう。

 

集中が進めば、いつか解放に向かうのに、前にも後ろにも進めなくなってしまう。

 

 

だから、お互いがお互いに干渉しないほうがよいのです。

 

お祭りが好きな人は、お祭りをすればいい。

 

手仕事に集中したい人は集中すればいい。

 

 

それはどちらも「たのしい」ことなのです。

 

 

そして、いつも言うことですが、解放系か集中系か、はっきりどちらに分かれるわけではありません。

 

ひとりの人間のなかに「解放系」と「集中系」が、混ざっています。

 

要はバランスです。

 

 

解放系の人も、たまには集中したいし、集中系の人もたまには解放したいのです。

 

 

当たり前のことです。

 

 

ただ、そのどちらもが「ゆるみ」への道なんだということを理解しておくだけで「たのしさ」に関する苦しみは、ほとんどなくなるんじゃないかなーと思うのです。