「ハラ生き道」

「からだの軸」が整えば、「じぶんの本質」につながれる。

「恐れを手放そう」「ありのままで生きよう」「魂の欲求に従おう」「エゴを捨てよう」←はい、全部エゴ。

今日のテーマは、「エゴの落とし穴」です。 
 


 
そもそも、「~しよう」とか「~やろう」というのは、全部エゴがやることです。




だからたとえば「エゴを手放そう」というあり方が、そもそもエゴエゴしいのです。 




「恐れを手放そう」


「ありのままで生きよう」


「魂の欲求にしたがって生きよう」





などのアドバイスが、どこかウサンクサく、お説教くさく、うっとうしく感じるのは、そういうことなのです。




まぁ、とにかく余計なお世話なのです。 
 
 
 

「恐れを手放そう」と思ったら、「恐れは要らないもの」と思ってしまう。


そして、「要らないものを持っているわたし」は「ダメな子」になってしまう。



そういうパタンで自分を責める人は多い。





「ありのままで生きよう」と、がんばって決意すると、「ありのままじゃない私」ばかりが浮き彫りになってくる。


「どんなふうに生きたら、ありのままかしら?」と悩んでしまう。



「そして、ありのままじゃないからドツボにはまるんだ」と自分を責める。




「魂の欲求に従おう」なんて考えるから、


「わたしの魂の欲求はなに?」「これはエゴの欲求? 魂の欲求?どっちを選べばいいの?」と悩んでしまう。 
 
 
 
 
こういったドツボまっしぐらな考え方というのは、実はちょっとした「あり方」のズレから起こってきてるんです。


それは


「うまくいきたい」という渇望。


なんです。




その渇望があるからこそ、すべての行動の動機が「うまくいくため」になっている。



「うまくいくために、恐れを手放さなきゃ」

「恐れを手放さないと、恐れを体験する出来事を引き寄せちゃう!!」

「うまくいくために、ありのままになりたいです!」

「幸せになるために、魂の欲求に従います!」






じゃぁ、そんなとき、自分はどんなあり方になっているだろうか?



それを問うてみると、そのときは、自分に対して「うまくいってない」という見方をしているんです。



そして「うまくいってないことがある」と感じる時点で、それはエゴの視点だということです。




じゃー、どうすればいいのか?



答えは「何もしなくていい」です。



「えー、でも苦しいんです」←そういう時もあります



「なんとか抜け出したいんです」←その考えのせいで抜け出せません



「なんとかしてください!」←知らん。



「どうすればいいんですか?」←むしろ、どうしたいの?



「わかってくださいよ」←無理。



「つらいんです」←良かったですね♪



「ヒドイ!」←だから何?



「悩みがなくなりません」←必要ってことだよ。



「恐れを手放したいんです」←その考えを手放したら?



「自分の性格を直したいんです」←その考えを直したら?





そう「何もしなくていい」が腑に落ちてはじめて、「何をしてもいい」が納得できるんですね。




「それがアタマで分かっても、腑に落ちないんです」という方は、アタマじゃなくてカラダで体得するといいですね。