「ハラ生き道」

「からだの軸」が整えば、「じぶんの本質」につながれる。

「キャバクラで働いてくれ」とお願いする愛。~甘えられない人へ~

こないだ、木曽、馬籠(まごめ)に妻と遊びにいってきました。

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大好きな五平餅たべたり。

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名物のおやきをほおばったり。

 

 

 

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ベタな景色に癒されたり。

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けれども、この数日前には、リアルに離婚届けを書き進めていました。

 

今回で3回目かなーー。

 

 

カラダもずいぶん詰まっていたらしく、一緒に歩きたいのか、別々の道を行きたいのか、かなり悩みました。

 

 

しかし、クリアリングした結果、

 

「やっぱり、この人とともに歩きたい」

 

と思いました。

 

 

っていうか、いつもそうなのよね。

 

 

クリアリングされると、「一緒にいたい」と思う。

 

カラダが詰まってくると「もうヤダ」と思う。

 

 

しかしハラ生き道では

 

「クリアリングされている状態で選択する」

 

のが基本なので、やはり「ぼくの本音」は妻と一緒にいたいようです。

 

 

 

それでね、今回は面白い気づきがあったのでシェアしたいと思うんだ。

 

 

それはね

 

「『甘えてほしい』と思う人ほど、自分から甘えること」

 

っていうことなんだね。

 

 

おぜっきーはさ、常日頃から嫁さんに

 

「もっと甘えてくれてもいいのになぁ」

 

って思っていたのです。

 

 

「こんな服が欲しい」とか

 

「こんなことがやりたい」とか

 

「どこどこへ行きたい」とか

 

もっともっと甘えてくれたら、その願いを叶えてあげるのに~!って思っていたわけです。

 

 

でも、なかなか思うように妻は甘えてくれない。

 

夫婦なのに、どこか遠慮されてしまう。

 

「うーむ、もどかしい。もっと甘えてくれたらなぁ」

 

 

って感じていた。

 

 

で、そういう思いって一見やさしいというか「いいこと」を感じてるっぽいじゃん?

 

 

相手に無理な要求をしてるわけでもないし、暴力をふるうでもないし、「やさしさ」?みたいな?

 

 

だけどさ、それが大間違いだったんだよ。

 

 

実はさ

 

「もっと甘えたらいいのに」とか

 

「もっと甘えてくれたいいのに」

 

って、「相手に変化を求めてる」んだよね。

 

 

「甘えられないあなたじゃダメだから、甘えられるようになりなさい(そうしたら、もっと幸せになれるんだから)」

 

っていう命令がひそかに含まれているんだよ。

 

 

 

そして、その奥には

 

「もっと甘えて、おれを王子様・救世主・ヒーローにさせなさい」

 

っていう甘えが潜んでいるわけ。

 

 

これは有名な「メシア(救世主)症候群」だよね。

 

 

おぜっきーは、元々そこに陥りがちなんだけど、またしてもやってしまっていた、と気づいたわけ。

 

 

つまり

 

「もっと甘えたらいいのに」

 

と妻に思うウラには

 

「もっと甘えたいのに」

 

という自分の欲求があったってことやね。

 

 

ほんで、何が甘えたいって、まぁ色々あるけど、たとえばお金のこと。

 

 

いま、おぜっきー家は、実質おぜっきーが大黒柱で、すべての収入をまかなっています。

 

 

妻は、おぜっきーの仕事のサポート。

 

 

そうすると、やっぱりついつい、ぜんぶ背負い込んじゃったりするわけ。

 

 

それでついシリアスになって、妻に八つ当たりしてみたり。

 

 

それはさ、おぜっきーが奥さんに「甘えられない」のが原因なんだよ。

 

 

そんで「頼りにされない」妻は、「わたしなんて要らないんだ」って思ってしまう悪循環に入ったりして。

 

 

でもいつも嫁さんは言ってくれるのね。

 

「いざとなれば、私も働くから、お金のことは気にせずに存分にやりたいことをやって」

 

と。

 

 

そう言ってくれてるのに、ついつい気張ってしまって

 

「いいや、俺が稼いで、お前を幸せに!」

 

みたいに突っ張ってたんだよね。

 

 

けっきょく、元をたどれば、この「がんばり」が不調和につながっていたわけよ。

 

 

だから昨日は言ったの。

 

「もし何かあれば、俺はあなたにキャバクラで働いてもらおうかと思ってるよ。いざというときは頼むね」

 

って。

 

 

そうしたら妻は

 

「分かった。何かあったときはまかせて」

 

っ言ってくれたんです。

 

 

そして、その会話がなされた途端、ぼくのなかにあった「何か重いもの」が吹き飛んでいった。

 

まるで憑き物が取れたように、カラダが軽くなったんです。

 

 

そこで気づいたのね。

 

「あー、甘えてほしいと思っていたけど、自分が甘えてなかったんだなー」

 

「優しくしてるつもりが、相手に変化を求めてたんだなー」

 

「ほんとに人間関係は<鏡>だなぁ」

 

と。

 

 

「あの人もっと力を抜けば楽になるのに」

 

「あんなに頑張って大変そう」

 

「彼女ももっと気楽にやればうまくいくのになぁ」

 

 

そう誰かに対して思う時、じぶん自身が

 

「力が入っていて」

 

「がんばっていて」

 

「気楽にやってない」

 

のです。

 

 

「そういうことを伝える人」だと、それは認めたくないことかもしれないけど、そういうことなのです。

 

 

今回は大変なケンカもしたけれど、また新たに気づきがあってよかったなぁと思いました♪

 

こういうときにハラ生きメソッドでクリアリングしているのが活きてくるね

center-muscle.hateblo.jp