不自然や不調和は、ぼくらの心の中にしかない。
不自然だ、変だ、違和感を感じる、調和してない感じがする、おかしい…
そう感じるとき、それはぼくらのなかの「思い込み」が反応しているに過ぎない。
たとえば「いま、世界は平和じゃない」と感じるとき、ぼくらの心は平和ではない。
「今の日本はおかしくなってきている」と感じるとき、「今の日本」の価値観を否定し責める心が、じぶんの内側に生まれている。
「〇〇さんは親としておかしい」と感じる場合、「〇〇さんは間違っていて、わたしは正しい」ということを主張したくなっている。
不自然や不調和、違和感を感じたとき、ハラ生き的にまっさきにやるのは、
「じぶんの身体をチェックしてみること」
だ。
けれども、ぼくを含めてほとんどの人が、外界の状況や他人、環境を修正しようとする。
それは「わたしは自然であり、あなたは不自然だから直してあげる」
という発想なのだ。
それは、ぼくらの心に根深く入り込んでいて
「あの人は〇〇だよね」とジャッジした瞬間に、同時「だから××を直したほうがいいよね」という気持ちを暗に含んでいる。
たとえば「Aさんって意地悪よね」という言い方のなかに
「意地悪はいけないこと」
「だから直して素直になったほうがいい」
という意地悪な心が含まれている。
「Bさんは、素直じゃないよね」という言い方の中には
「素直であるべし」
「ひねくれているのはよくない」
「私のいうことを素直に聴いたらいいのに」
というひねくれた心が隠れている。
「Cさんは、自分勝手ね」という言い方のなかには
「自分勝手はいけない」
「みんなのことを(というか主に私のこと)を考えなきゃ」
「早く直したらいいのに」
という自分勝手な心が含まれている。
つまり、やはり不自然や不調和、争いやいさかい、不協和音は、ぼくらの中にしかないのだ。
そしてハラ生き道では、その「じぶんの中の不協和音」でさえも、消そうとするのではなく、認めてゆるしてしまう。
まずは、その観点に立つ。
すると「認められゆるされた不協和音」というのは、自然に”解消”してしまうのだ。
すると、さらにボディがクリアになってくる。
そのプロセスを繰り返すこと。
それがハラ生き道の根幹であります。