「こうなったら嫌だ」という意識が「生まれたままのじぶん」を殺してしまう。
面白いことに
「こうなりたい」と「こうなりたくない」は表裏一体で、同じものなんだ。
「あんなふうになりたい」の裏には「こうなったら嫌だ」が隠れている。
「ああはならないように」
「こうなったら嫌だ」
「あーゆー風にはなりたくない」
もし、そういう気持ちが出てきたら、
「それはなぜ?」
と自分に問うてみるといい。
すると、そこにはたっぷりと「思い込みの嵐」が見つかるはずだ。
否定や拒絶、さげすみ、バカにする心…
「これはイヤだ」「あれはイヤだ」というワガママな心…
そういうものがどんどん出てくる。
そして、そういう「この世界にあるものを拒む心」が、じぶん自身を狭め、苦しめているのだと気づく。
それに対して
「そうか、それもありなんだ」
という「ゆるし」が出たとき、ぼくらはまたひとつラクになる。
「こうなりたい」とか「こうなったら嫌だ」とかをなくしてしまう。
するとそこに
「ああ、じぶんはこうあるんだ」
という気づきが残る。
そこでは「こうありたい」というBeの欲求でさえも、余計なものとなる。
「want to be」ではなく「just to be」だ。
「ただ、そこにあるだけ」
そこに最高の価値があるということ。
そういう世界の、なんにもなくて、なんでもある世界の、そのふつうの美しさというものを追求してみたい。