「ゆるせないこと」の2歩先をゆるす。
ぼくは生きるというのは「ゆるしの道」だと思っています。
昨日まで「ダメ」だと思っていたことが、今日ひとつ「それもOK」になる。
そうやって、どんどんゆるんでいくのが最もラクだと思うんですね。
人間というのは、炊き立てのお米と同じで、ほおっておくと、どんどん固くなる。
だから「気」を遣わずに、「気」を入れずに、「気」を抜いて生きると、どんどん頑固になってくる。
老害化するじいさんばあさんは、気を抜いて生きてきた人なんだと、ぼくは思っています。(それはそれで価値があるのだけれど)
それで、老害が近くにいるのは苦しいものですが、意外にもいちばん苦しいのは、そのじいさんばあさんなわけです。
なぜなら人間には
「ゆるむとラクになり、固まると苦しくなる」
という法則があるからです。
つまり老害になるほど考え方の固い人は、アタマ(頭蓋骨)もカラダも固いし、弾力がないので呼吸も浅い。
だからこそ、つねにイライラしているということです。
だからなるべくそうなりたくはないなぁと思っているのですが、そのためにできることが
「ゆるすこと」
なんですね。
で、ここにポイントがありまして、
「ゆるせそうなこと」
をゆるしても仕方ないんですね。
ハラ生き的には、
「ゆるせそうにないこと」
をゆるしていくというのが眼目なのです。
「ゆるせそうにないこと」とは「ありえないこと」と言い換えることができます。
「ありえないこと」によって汚れてしまった心を洗濯することで「ありえる」に超越していく。
それが「ウルトラアリエール」です。
それが、ぼくの感覚では
「ゆるせないことの2歩先をゆるす」
っていう感じなんですね。
「これはありえない」
「かなりふざけてる」
「それは言い過ぎでしょ」
と思ってカッチーンとなったとき、呼吸や「からだの軸」を整えて「2歩先」まではゆるすよう努める。
それが3歩先までいってるものに関してはキレる。
人間って、限界を超えたものを許容しようと思うと、ゆるしたつもりが、だいたい「カス」が心に残るんですね。
完全燃焼できない。
すると、それがだんだん積もり積もってくるんです。
そうすると、のちのち大問題になったり、健康を害したり、人間関係にヒビが入ったりします。
だからガマンはしすぎない。
だからといってまったく辛抱しないと「ゆるしの器」が広がっていかないんです。
別にそれでもいいんだけど、広がっていかない、つまり停滞していると、からだの経年劣化によって、徐々に固まっていくんですね。
だから人間というのは、「どんどんゆるんでいる」と思えるくらいで、やっとちょうど停滞するレベルです。
ぼくらは、毎日毎日、「経験」や「記憶」という名の固定観念で固まっていっているんです。
その意味で「ゆるせることの1歩先」程度をゆるしていても「ゆるしの器」は広がらない。
老化とちょうどトントンくらい。
それが「ゆるせることの2歩先」までゆるす練習をしていくと、徐々に「ゆるしの器」が広がっていくように、ぼくは感じているんです。
そのために、からだをどんどんゆるめ、「からだの軸」を整え、呼吸を深くし、からだとこころの構造改革を進めていく。
そして「ハラ」の筋肉が動き出すと、不思議とゆるせることが増えてくる。
これは体感した人にしか分からない。
「ハラの筋肉」といってももちろんお腹を6つに割る必要なんてない。
横隔膜を含むハラの内側の筋肉が、きちんと弾力を持っていればいい。
ハラの筋力が弾力を持っているとき、こころにも柔軟性がある。
ハラの筋肉がきちんと動いていれば、うつにもならないし、自殺もしないとぼくは考える。
だからこそ、ハラの筋肉を活性化しましょうと提唱しているわけです。
共感できる方は、ぜひ一緒にやっていきましょう♪
生涯学習です(^O^)