「痛み」の原因なんて、なんでもいいんだよ(^O^)
クライアントさんと接するときに大切なこと。
それは「ただしい情報を押し付ける」ことではなくて、「相手の納得感を引き出す」ということです。
それがいくら最新の理論であろうと、「科学的に」証明されたものであろうと、
「誰がなんというと、これはこうなんです!」
みたいな頑固さは、けっきょくクライアントに届くどころかクライアントの頑固さを引き出してしまう。
セッションや施術をする人は、ときにウソをつく必要がある。
正しい情報だけでは、クライアントさんを導くことはできない。
セッションのときに武器になるのは、「ただしい情報」ではなくて「相手の納得感」なんだ。
だから、「ウソ」をつくこともある。
ただ、その「ウソ」というのは、「正しい、科学的な、客観的な」情報に対してのウソであって、
クライアントに対しておべっかを言ったり、無駄におだてたり、だましたりすることでは、もちろんない。
セラピストが使う「ウソ」とは、あくまでクライアントさんが自分の本質に戻るための「方便」であり、「捉え方の角度の変更」であり、「捉え方のスケールの変更」であり「視座の変更」なんだ。
それによって、
「ああ、この痛みや辛さの原因は〇〇だったんだ!」と
クライアントさんがスッキリして、
「だから、ここをこう直せばよくなるんだ!」と希望を持つこと。
それが、唯一のゴールになる。
「ただしい情報こすり付けオナニー」で、セラピスト側がスッキリするのは論外だ。
だから、よく
「〇〇の原因は××だった!」
「ついに解明!××の原因は△△!」
「〇〇だけやれば××の9割は改善する!」
みたいなのあるでしょ。
そういうのは全部ウソだし、全部ホントなの。
「仮説」は、何百万あってもいいの。
その中から「納得」できる説を選べばいいんだよ。
で、セラピスト側としては、そういう「仮説」をたくさん知っているといいよね。
それを相手の思い込みに合わせてアレンジしていくわけ。
けっきょく大切なのは、「ただしい情報」を流布することじゃなくて、「あたらしい観点を提供する」ってことね。
それは、今までの情報を否定するものではないの。
ただ、「新しい」ってだけ。
そこに価値がある。
だからさ、腰痛の原因なんかも、
「筋肉が固いことが原因」とか「筋肉がゆるんでいるのが原因」から来て、
「骨盤のゆがみが原因」になって、
そこから「心理的なものが原因」なんて最近は言われているわけ。
で、それはどれも「真実」なの。
ただし、クライアントさんが「納得」したときだけね。
だから大切なことってのは、
「こちらが新しい説を提案したときに、クライアントさんが信用してくれること」
なんだよね。
そのためには
「クライアントさんの”納得感”をいちばん大事にして、<だいじょうぶ>っていう希望を与えられる人になる」
ってことなの。
けっきょくそこなんだよね、
「そういう人になる」
っていうこと。
じぶん自身の問題。
ぼくも整体をやってたころは、「自説」や「新たに勉強してきた説」を、クライアントさんに押し付けてましてね。
それで理解できない人は、
「うーん、頑固だなぁ」
「これが理解できないから、痛みが取れないんだよ」
「もっと素直になればいいのに」
なんて思ってましたよ。
ずいぶんオナってたなぁwww
それは「わかってほしい」活動だったんだなって今なら分かる。
それは「ボディの共鳴」によって伝える、という手段を知らなかったからなんだ。
だからこそ、言語の、アタマの、コミュニケーションで苦労していたんだね。
違うんだよ。
人は「からだで対話をしている」の。
それはアタマの会話の、何十倍もパワフルなんだ。
で、その「ボディの共鳴」を実践するためには何百冊の本を読んで、高額のセミナーで勉強してもダメなのね。
逆に、そういう知識を捨てて、じぶんをゆるして、からだをゆるめる、っていうことでしか「ボディの共鳴」は生まれてこない。
ブッダだってキリストだって勉強して悟ったわけじゃないでしょう?
「小難しいこと」「ただしいこと」にハマると大切なことを見失うよ。(おぜっきーのようにww)
大切なのは、「ただただボディをゆるめて、じぶんと、そして周りとつながる」ってことなんだ。
そういうシンプルな方法を提供しているのがハラ生き道なんです。