周りを輝かせる人、自分だけが輝く人 ~カリスマ搾取の構造論~
こんにちは、おぜっきーです。
今日は「信者になりさがり、カリスマから搾取されているのに、ずっと憧れをやめられない人」に向けて記事を書いてみますね。
人の心の闇とはおそろしいものです。
ぼくの定義では「闇」とは「止み」。
大いなるエネルギー(光)がストップされている状態のことを闇だと考えています。
心の闇は、心のすき間です。
ぽっかりと空いたすき間。
ここに「好き」が入り込みます。
そして、その「好き」は、しだいに「憧れ」に変わります。
「あこがれる」は古語では「あくがる」。
「あくがる」とは「空(あ)く+離(か)る」だそうです。(諸説あり)
つまり「憧れる」とは心にぽっかり穴が空き、心ここにあらずになり、心が体から離れてしまうことなのです。
カリスマから搾取され続ける人は、ほぼ例外なく、この状態になっていると言えます。
いっぱんにカリスマは、「見た目が」キラキラと輝いています。
だから、自らの輝きに気づけない人は、「自分にないものを持っている!」とつい憧れてしまう。
しかし、そこに落とし穴があるのです。
ぼくらは誰かに憧れてしまうと、一生輝けません。
「あんなふうになりたい」
「私はまだまだ」
「そうだ、〇〇が足りないんだ」
と、どんどん輝きを失っていく。
金メッキの人のそばにいると、いろいろと搾取されます。
中身がスカスカな教祖様は、
「私はスゴイでしょう!」
「あなたはまだまだ」
「もうすこし頑張れば、私みたいになれるんだけどね」
といふうに、依存症の信者から、さらに自信を奪っていく。
ついでに言えばお金も。
しかし、ほんとうに輝いている人というのは、「わたし、輝いてる!」と目くじら立てて主張するのではなく、「あなたって、本当にすごいね」と、目の前の人に希望を差し出すのです。
ほんとうに輝いている人というのは、周りを輝かせている人です。
そして、その光に支えられている。
だからこそ、周りの人への感謝がスゴイ。
自分のことをスゴイとも凄くないとも思っていない。
ただ、そばにいる人に「私もすごいんだ。私も価値があるんだ」と思わせる力がある。
ぼくはといえば、前者の落とし穴にハマっていた時期がありました。
「スゴイ人に会いたい」
「スゴイ人になりたい」
「スゴイ人に見られたい」
と、まさに心の欠乏感3兄弟を抱えていたのです。
そして、整体の後輩に当たる人に、ことあるごとに褒めてもらいたがった。
「やっぱ、おぜっきーはスゴイ!」っていう言葉を欲しがった。
妻は、そうやって崇められ、たてまつられる僕をキモチ悪く思っていたそうです。
そんなとき、ぼくはメンターに出会ってセッションを受けた。
そうしたら、ぼくは自分がスカスカであったことに気がつき、だんだんと自信を取り戻してきた。
すると、徐々に「誰かに憧れる」ということがなくなってきたのです。
もちろんメンターに憧れたこともないです(笑)
「このセッションはスゴイ!」と思ったけれども、「このおじさんみたいになりたい」とは思わなかったwww
それはメンター側で、あえて憧れられないように工夫してあるんですね。
自分が憧れられてもしょうがないって分かっているから。
逆にぼくはメンターに対して
「あなたのところのHPはダメダメです。」
「あなたの文章や言い方では、一般人に伝わらないからぼくがやります」
「キャッチコピーは、こうしたほうがいい」
とか偉そうに物申すわけです。
メンターに対してですよ?
ぼくのメンターは、そういうことを許してくれる。
この度量こそが、スゴイと思うんです。
この人が、ぼくにいろんな本質的なことを教えてくれました。
ついでに言えば、たぶんだけど話を聞く限りでは、ぼくのほうがメンターよりも収入が多いのではないかと。
詳しく知らないけど。
けど、お互いそんなこと気にしてないわけですよ。
だって、収入って価値とか実力と比例しないですからね。
収入と実力が比例するんなら、たくさんのお金をもっている某団体のトップが、いちばんスゴイ人ということになってしまいますね。
それに、収入と価値が比例するなら、5年前のぼくの価値は、そうとう低いことになってしまう。
そういう当たり前のことを考えていくと、ヤバイ状態に気づけるわけですね。
よくね、うちにもあるとこの信者さんが来られて、いろいろ力説して他人の時間を奪って帰っていきますけれども、
「何十年と修行して、あんたみたいな人になってしまうところに絶対いかんわ」
って思うわけです。
たいていカリスマがおかしくなっているところは、信者も行動がおかしい。
いつも教祖さまに奪われているので、周りに対してもお金や時間を奪おうとする習性があります。
あとは洗脳されているので、洗脳しようとしてくるwww
あなたは、カリスマに憧れて、カリスマに搾取されていませんか?
もちろんカリスマ側だって搾取しているつもりはないのですよ。
「善意で」やってるつもりが、結果を見れば搾取になっているということです。
これは、そうとう気をつけていないと、知らぬ間に悪魔にとり憑かれる。
さて、あなたの周りの人は、輝いていますか?