「ハラ生き道」

「からだの軸」が整えば、「じぶんの本質」につながれる。

機嫌や気分に振り回されるのは「本音で生きる」のとは違うよ♪

こんにちは、おぜっきーです。


今日は「自分の感情や感覚を感じて生きていきたいけど、やり方がよく分からない」という方に向けて記事を書いてみますね。



最近は、ホント「感情」が取りざたされることが増えましたね。


感情を感じきって生きる。

自分を大切にして生きる。

自分の感覚を信じる。



そんなことを標榜している人たちが急激に増えたなぁという印象です。


ただ、その流れのなかで迷走している人がいるのもたしかで、今日はそんな迷えるあなたに向けて書きます。



まずは「自分を大切にして生きる」ということなんですが、これは言い換えると「上機嫌に生きる」っていうことなんですね。



なるべく自分が上機嫌でいられるように、自分の身心を整えておく。


なるべく自分が上機嫌でいられるように、自分の環境を整えておく。




この身心という、いわゆる「内部」と、環境という、いわゆる「外部」両方ととのえることで、自分を上機嫌に保つ。



そういうあり方が、「自分を大切にする」だと思います。



自分を上機嫌に保つと何がいいかって、それは直感が冴えるということです。



人間というのは、機嫌が悪いとき、「詰まって」います。


いわゆる他力の大いなるエネルギーが通っていないとき、ぼくらは不機嫌になります。



逆に、大いなるエネルギーが通っているとき、ぼくらは上機嫌となります。



だから、「自分を大切にする」ということは、上機嫌でいることであり、それは「大いなるエネルギーがカラダに通っている状態」なのです。


むろん、イコール「ハラが活性化した状態」であります。




そうすることで、ぼくらはカミサマ的なエネルギーが通る管となり、そのとき、神の意志(天意=あい)が、ぼくらの身心を通じて表現されます。



一般的に、それが体現されることは「奇跡」と呼ばれています。




しかし、「自分を大切にする」に迷走している方というのは、上機嫌とか不機嫌とかに振り回されることが、「自分を大切にする」だと勘違いしてしまうようです。



そうすると、ただの横暴な人になってしまったりする。


感情に操られるモンスターに堕してしまう。




それは、なぜかというと「自分を大切にする」のレベルがズレているのです。



本来の「自分を大切にする」は、自分を上機嫌に保つ努力をすること。



けれども迷走中の「自分を大切にする」は、自分を上機嫌にするプロセスを忘れたままで、そこに生まれてきた副産物である感情に振り回されてしまう。




「感情のままに生きる」のと、「感情を丁寧に観察し、充分に味わう」のは、ぜんぜん違うステージなのです。




「感情のままに生きる」のは表面的な感情に翻弄されている。


「感情を充分に味わう」のは、奥深い感情を丁寧に観ていく。




「感情のままに生きる」と不機嫌の処理がうまくいかないので、直感が鈍ってしまう。


表面的な感情に惑わされ、自分の欲しいものが分からなくなってしまう。


そして、欲しくないものを欲しいと思わされてしまう。






「感情をていねいに観察し、充分に味わう」と、ただストレスをスッキリさせるだけでなく根本的な解決がなされ、不可逆的な成長をとげる。


そして、たまねぎの皮をむくように、徐々に自分の本質が見えてくる。


表面的な欲望に流されず、ほんとうに欲しいものが分かってくる。






カラダのパイプが詰まった状態のままで、自分の奥底の「ほんとうのココロ」など見えてくるわけがないのです。



「直感を磨きたい」「ハラで選択して生きていきたい」というのであれば、不機嫌になっちゃってからじゃ、もう遅いのです。




不機嫌になる、その前に。


上機嫌が保てるよう、身心を整えておくのです。


上機嫌だから、直感が使える。




けれども、迷走中のあなたがいっている「感情を大切に」「気分を大切に」というのは、不機嫌になっちゃうことが前提となっているのです。



だから、なかなか変わらない。


根本のところの前提がズレているので、なかなか変わってこない。





機嫌に振り回されちゃダメなのよ。



いやダメじゃないんだけど、それは「変わる道」じゃないよねって。



変わりたいなら、機嫌に振り回されず、機嫌を振り回すことが大切なわけです。


そして上機嫌を保ち、直感にまかせる。


ハラが据わってくるというのはそういうことです。

ハラを据わらせたいなら、こんなメソッドを実践してみるとよいかもしれません。


ハラを据わらせるためにセンターマッスルを活性化したい方はこちらをどうぞ♪