「ハラ生き道」

「からだの軸」が整えば、「じぶんの本質」につながれる。

「いい人やめます!」宣言が、効果ない理由。~スローガンでは人は動かない~

宣言しているヒマがあるくらいなら、行動を変えたほうが早い。

 

 

「宣言」することで変わった気になってしまい、そこからの実践をしない。

 

正直、アホの極みだと思う。

 

 

たとえばハラ生き道とは「いい人をやめていく」試みだ。

 

それは、毎日毎日、瞬間瞬間自分を見つめていく道で、痛みを伴いながら、「表面の皮」をはがしていく美しい営みなんだ。

 

 

それを

 

「いい人やめます!」

 

みたいな宣言をされると、「ナメてるのかな」と思ってしまうことがある。

 

 

そんな”宣言”なんかで「いい人」をやめることはできない。

 

「いい人やめるぞ」と意識しても意識しても、根深いところから「いい人」が出てくる。

 

 

そういうものなんだ。

 

 

だからそれを「今日からやめます!」みたいにスイッチングできると思うのは甘すぎる。

 

 

逆に”宣言”などしなくとも、日々、実践を続けていけば、変わっていける。

 

 

 

たぶん、いちいち「宣言」をしたがる人は、腰が重いんだと思う。

 

 

つまり、骨盤の内側の筋肉が動いていない。

 

 

そうすると不思議なことに行動力がなくなってしまう。

 

 

すると、その分、口が動くようになる。

 

 

そうやって代替作用で出てきた言葉には力がない。

 

上っ面をなでていて、むなしい感じがする。

 

 

その割に本人には「気合」が入ったような感じがしていたりして。

 

 

ハラ生きには、気合よりも「淡々さ」がよく似合う。

 

 

もちろん、はじめの一歩は「清水の舞台から飛び降りるような気合」が必要なこともあるだろう。

 

 

けれども、そこで燃え尽きてしまっては、何の意味もないんだ。

 

 

気合を入れて、「壁」を飛び越えたあとは、淡々と歩いていく。

 

 

それを

 

「壁を飛び越えるぞ!」と肩肘張っている人。

 

「本気だせば、壁のりこえられるもんね」と言い訳している人。

 

「壁にぶつかること」で傷つくじぶんに酔っている人。

 

壁を乗り越えて満足して、そこで休んでしまう人。

 

 

そういう人には「淡々さ」が足りない。

 

「壁を乗り越える」のが当たり前で、そこからジワジワと歩いていくことができなければ、何も変わらないんだ。

 

 

あなたが、目的地に向かうとき、いちいち宣言するだろうか。

 

「今日は東京に行くぞ」とか

 

「明日こそ、ファミリーレストランで食事するぞ」とか

 

「100均ショップいってみます!」とか

 

わざわざ、誰かに見せびらかす必要などないだろう。

 

 

 

つまり、いちいち宣言する人の心には「できない」が、根深く横たわっているんだ。

 

 

その「できない」気は、からだから生まれてくる。

 

横隔膜が動いていない。

 

骨盤底筋が動いていない。

 

ハラが活性化していない。

 

腰に元気がない。

 

うまく呼吸ができてない。

 

からだの軸が崩れている。

 

 

そういうときに、「できない気」がからだに充満してくる。

 

 

逆に言えば、「からだの軸」さえ整えば、からだに「できる気」が満ちてくる。

 

 

これは、体感してもらったらすぐにわかる。

 

 

「からだの軸」を整えるハラ生きメソッドを体験した人は、「できる気が満ちる」ということを体感できている。

 

 

そして「世界は思い込みの通りになる」ので、「できる気」がハラに満ちた人には「できる」という現実しかやってこない。

 

 

それがたとえ「今は」実現できなくとも、「いつかできそうな気」が勝手にしてくるので、モチベーションが低下することが極端に少ないのだ。

 

 

だからこそ、モチベーションが続かない人は、「からだの軸」の整え方をぜひともお伝えしたいんだ。

 

 

これも「からだの軸を整えるぞ!」と宣言などしなくても、「淡々と」やってもらえばできることだ。

 

ぼくは、そういう方法論をお伝えしています。

center-muscle.hateblo.jp