幼児ってムカつくよね。そこにヤバいくらいのチャンスがある。
子どもというのは、接してみるととてもムカつく。
可愛い?
もちろん可愛い。
けれども、それだけじゃいられない。
やはり「ムカつく」というところが、とってもポイントなんだ。
幼児に接していて、イラっとくるポイント。
それが、いわゆる「心のブロック」がある場所だ。
それは、子どもに「なんて言いたくなるか」ですぐにわかる。
「早くしなさい」
と怒りたくなるのは、
「いま、ここを遊んではいけない」「時間通りでなければならない」「言われた通りの時間でやるべきだ」
などの思い込み。
「さっきと言ってることが違うだろ!」と怒りたくなるのは、
「論理的整合性がなければいけない」「正しくなければいけない」「間違ったことを口にしてはいけない」
などの思い込み。
「ちゃんとしなさい」と怒りたくなるのは
「サボってはいけない」「しっかりしなきゃいけない」「休んではいけない」
などの思い込み。
ちなみにぼくの場合は、真ん中の思い込みが根深くて、どうしても子どもの「言ってること」に着目してしまう。
けれども落ち着いて、子どもの「感じていること」にフォーカスできるときは、ていねいに対応することができる。
「批判したくなる」というのは、とても素晴らしい瞬間だ。
「それはダメでしょう」
「さすがに、それはやめなさいよ」
「それはおかしいでしょう」
そうやって否定したくなる瞬間、ぼくらの軸は「他人軸」に移ってしまう。
「あの人が」
「こんな環境が」
「政治家が」
何かのせいにしたくなるとき、ぼくらはそれに「依存」している。
だから、子どもにムカついてしまうというのは、子どもに依存しているということなんだ。
それが悪いということじゃない。
「子どもに依存しているんだ」ということに気づき、子どもの所作・言動に反応してしまう自分に気づいたとき、
また一歩、じぶんをゆるすことができるってことが言いたいんだ。
ハラ生きとは、まさに「子どもの価値観」で生きること。
その自由さを尊敬ししたとき、ぼくらも「子ども心」に戻れるんだ。