じぶんに足りないものを補おうとしてはいけない。才能がないことも才能の一部。
ぼくらに足りないものなどないんだ。
今、このまんまの凸凹をいかに利用するか。
それが才能を開花させるコツだ。
エゴでじぶんを観察すると、どうしても「不足している部分」が目についてしまう。
自分はまだまだで、もっともっと努力の末に、完成度を高めないといけないのだと感じてしまう。
しかし、それは幻想なんだ。
才能とは「何かが人より自然にできること」だ。
しかし「じぶんだけ、あることができないこと」も立派な才能なんだ。
「できないことが才能」なんて言われても、納得できないかもしれない。
今まで
「これができない。あれができない」とじぶんを責める材料を探していた人にとって、
「できないことが才能」
という考え方は、逆に苦しいかもしれない。
とはいえ「なぜ、できないことは才能」と言い切れるのか。
それはその「できないこと」に、相手が入り込む「スキ」を与えるからだ。
つまり人は「できないこと」で、誰かとつながっている。
ぼくは家を建てることができない。
料理もできない。
机もクルマもスマホも作ることができない。
お茶も小麦もお米も育て方が分からない。
パンツ1枚すら、作ることができない。
テレビもテレビ台もリモコンも作れない。
ぼくらが生きるということは
「0.01%の<できる>と99.99%の<できない>」
で成り立っている。
で、その「できない」は、誰かの才能によって埋め合わせしてもらっているということだ。
そこに「感謝」も生まれるし、「お金」も生まれる。
つまり「できない」は「循環」のためのエネルギーなんだ。
だから「できない」を直しちゃいけない。
それは「循環」を止めてしまうことになるんだ。
だから「できない」は素晴らしい。
その理屈で「できない」を受容して認めてしまう。
「できない」を笑い飛ばしてしまう。
「できない」と責めるのをやめてしまう。
するとそこに「できる」がふっと浮かび上がってくるんだ。
「できない」ことの罪悪感がなくなり、「できない」が才能だと分かった瞬間に、「自然にできてる」が見えてくる。
そうやって、じぶんの凸凹を知り、人に頼り、人に頼られて豊かに生きていこうというのがハラ生き道なんです。