「しあわせ」とは死を畏れ、死と隣り合わせで生きることなのかもしれない。
「しあわせ」
この語源は気になるところだ。
しかし、語源というのは「真実」よりも、じぶんの体感のほうが大事なんだ。
「これって、こういう意味だよね」
という「じぶん辞書」を確立していくということ。
それが、「じぶん哲学」につながっていくし、「じぶんの軸」にもなっていく。
というわけで「おぜっきー辞書」で「しあわせ」を引いてみる。
【しあわせ】
死合わせ。つまり死と隣り合わせで生きること。死を畏れること。
今のところは、これがいちばんしっくりくる定義だ。
「死を畏れること」
「恐れ」「怖れ」ではなく、あえて「畏れ」を使ったのは、死に対する畏敬の思いからだ。
それは
「死ぬのが怖いよー、怖いよー」という感じではなく、
「ふつうに考えて死にたくないよね」というニュアンスを表現したかったから。
死を畏れるということは、生を尊敬することと同じだ。
「死」をイメージしたとき、「いま生きている」ということが鮮明になる。
魂じゃなんじゃの話の前に、ぼくらの肉体は有限だ。
「あちらの世界」から期限付きでレンタルしているのが、このからだ。
つまり、「死を畏れる」ということは、この「からだ」を大切に思うことでもある。
この「生」が終わる直前になって、
「そういえば<生>って終わるんだった」
と気づくような生き方は、ぼくにとっては豊かではない。
それは「死を忘れた」生き方だ。
生を尊ぶ気持ちは、死を畏れることからしか生まれない。
ハラは死を畏れている。
死を畏れ、「生」を体験しつくしたいっ!
というのがハラの価値観だ。
その価値観にアクセスし、その価値観にしたがって行動するとき、ぼくらは「しあわせ」なんだと、ぼくは思う。